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  • 免疫力

    今日たまたまなんですけど、お医者さんの発信するインスタの動画見たんですよ。

    お医者さんの家系らしく、ご両親もお医者さんらしいです。ご本人は幼少期、身体が弱くしょっちゅう風邪をひいていたらしいです。体調が優れない時、両親に薬を飲ませてくれるようにお願いしたらしいのですが、薬は処方してくれなかったそうです。理由としては、病気と戦う身体を作るためだと。薬を否定するつもりはないが強くなって病気を治せる身体を作ることが大事だと。

    Fully Agreeですね。

    色々なご意見があるのは承知のうえで、全く医学的なバックグラウンドが無い、完全な主観ですけど、免疫の基本って体温調節だと思うんですよね。遠い昔、無脊椎動物は体温調節が出来ない。って教わった気がします。

    体温調整するために汗をかく。って教わったのですが、汗っかきだった私は汗を沢山かく体質が嫌だな。なんて学生時代は思っていました。ですが、食事をしただけでも汗をかく(決して辛いものだけでなく、温かいもの全般)代謝の良さに今は感謝しております。

    お陰様でほとんど風邪などひかないですし、喉が調子悪かったりはすることありますが、発熱しても大体1晩で治りますね。ほんと個人的な話になりますが、靴下と靴が嫌いで、できるだけ裸足で居たいんですよ。真冬でもサンダルで過ごしますね。周囲からはドン引きされますが。

    専門家ではないので、医学的な説明はできませんが、私の個人的な健康の秘訣は出来るだけ素足でいることですかね。

    世の中冷え性で困っている方、最近では子供でも冷え性に悩んでいる子が増えてるように思います。食事、生活習慣、運動、小さい頃から整えることで改善されないですかね?

    寒いから厚着をする。暑いから涼しいところで過ごす。その時間が長ければ長いほど体温調節する機能は失われる気がします。体温調節できないから益々、周囲の環境に影響を受け易くなってしまう。どんどん免疫が下がって、体調を崩しやすくなる。薬や栄養補助食品に頼る生活が当たり前になり、医療費や保険料の高騰を招く。世の中悪循環に陥っている気がしてなりません。

    過保護が弱い身体を作っている気がするのは私だけでしょうか。

    フィジカルもメンタルもスキルもコンフォートゾーンから抜け出して、自らのポテンシャルを最大限に引き出すサポートをしたいですよね。

    勿論、過度なストレスは禁物です。

    この異常気象が続く日本列島で、暑い中の運動を推奨するつもりはありません。ですが、全く汗をかかない生活はどうかと思います。

    バランスを見ながら適度な負荷を身体に与えて、心身ともに健康な状態を保ちたいですね。

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  • 文化

    文化とはどのように形成されるのでしょうか?

    例えばスタートアップなどで、創業間もなく社員数も少なければ創業者の想いが色濃く反映された文化になるのでしょうか?

    老舗と呼ばれる伝統を脈々と受け継ぐような家業は、創業者の想いも残っているでしょうし、守るところと時代に合わせて変化させる部分とを融合し新たな文化を形成しているのでしょうか。

    一方で大企業と呼ばれる会社はどうなんでしょう?創業者の想いや哲学を教育するシステムを持っているかと思いますが、脈々と受け継いでいる部分もあれば、末端の従業員まで熱意が届かずに苦労しているところもありそうですね。本来の目的を見失って出世争いや派閥争いに明け暮れてなければいいですが。

    皆さんの家庭には家訓はありますか?家訓は無くともやはりそれぞれの家庭が大事にしていることってありますよね。やはり家族毎の文化はあるような気がします。友人や恋人としての付き合いならば何の問題もないでしょうが、結婚となるとお互いの家庭/家族の価値観、文化の違いって無視できないものになってしまうかと思います。

    この時期(夏休み)になるとネットニュースで夫もしくは妻の実家に帰省するのが憂鬱である。と言う記事を毎年見る気がします。家庭だけでなく地域の文化やしきたり、価値観の違いが大きくとてもではないが受け入れられない。といった内容が多いでしょうか。

    もう10年以上前の話になりますが、当時の専務(外国人)が言っていた言葉がとても印象的で、もし会社の哲学が合わないのであれば、無理してここに留まるのは不幸になる。自分の哲学にあう組織を見つけるべきだ。という旨の話をされました。当時、自分の考えと会社の哲学が高レベルでシンクロしていたと感じていたので、経営層がそのような発言をすることに驚いたのを覚えています。

    本心を隠し通して組織に合わせようとしても、いつか気持ちが破綻するような気がします。それは会社であれプライベートなコミュニティであれ、家族であってもです。語弊を恐れずに言うならば、一般的に子は親の言う事を聞くべきだと考える親が多く、無言の同調圧力を幼少期から受けている子は、疑問や不安、違和感を伝えることが出来ずに自分らしさを見失ってしまう子も多いのではないでしょうか。

    組織から離れることを、離別、退職、家出、勘当、離婚などどうしてもネガティブな印象を与えてしまう語彙が付けられています。

    未来永劫お互いが現状維持のまま過ごす。なんてことはあり得ないですよね。もっと旅立ちを社会全体が温かい目で見守れる文化にならないですかね。

    旅立ち、卒業、門出といった将来性のある単語に変わったらいいのに。って思います。

    70年もの間、憲法をアップデートできない国民ですから、文化を変えるのはかなり大変だと思いますが、、、

    自分に合う組織に移ることがもっと簡単に当たり前になれば、自己肯定感を持ちながら多様性が生まれると思うんですけどね。

    諦めたらそこで試合終了なので、微力ながら発信を続けますね。

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  • なぜミスを繰り返すのか?

    皆さんは学生時代、苦手だったり何度も叱られた、怒られたことってありますか?

    例えばですが、忘れ物が多いとか、提出期限が守れないとか、遅刻が治らなかったとか?

    得て不得手は誰にでもあるでしょうし、昔苦手だったことも今は克服して立派に社会人として振る舞っている方も大勢いらっしゃるかと思います。

    それではどうやって克服したのでしょうか?

    忘れ物を例にすると、前の日に準備する。必要なものを書き出す。物の定位置を決めて無い事に気付けるようにした。などなど、色々な対策が考えられますし、1回の対策で克服した人も中には居るでしょうが、大多数は効果が出た対策に辿り着くまで何度も失敗を繰り返しながら、苦労して克服したのでは無いでしょうか?

    先ず効果についてですが、原因に対して効果的な対策を打つ為には、正しく原因を掴む必要があります。

    忘れ物の原因が、持ち物を覚えていない。に対して対策を前の日に準備する。とした場合。効果が得られると思いますか?

    結構ありがちなのですが、原因を掴む前に対策ばかり考えてしまって、それなりの対策を思いついたら、そこで満足してしまう事です。原因と対策の結びつきを検証する事なく対策を実施しても思い通りの結果を得られないことが起きてしまいます。

    先ほどの例ですが、明日持って行かなければならない物の情報が前日に確実に得られるとは限りません。提出物などはある程度の期間、猶予があって提出の期限が設けられているのでは無いでしょうか。提出など自分のアクションが必要な事、物についてはカレンダーに書き込む。などの対策にしなければ結果が得られないのではないでしょうか?

    効果的な対策を打つ為には、これでもう大丈夫だ。と思うのではなく、様々な状況をイメージして、想定外が起こらないかシミュレーションすることもとっても大事だと思います。

    一方で、いくら仮説やシミュレーションをしても、1回で万全な対策を打てることなど、稀ではないでしょうか。

    大多数は失敗を繰り返しながら、本質に近づくのでは無いでしょうか。

    達成できる(克服できる)人と途中で諦めてしまう人の違いは何でしょう?

    確かに問題解決に強いとか慣れているとか、地頭が良いとか、論理的思考が強いとか、スキルの部分もあるとは思いますが、最後はどうしても克服したい。という熱意な気がします。

    皆様も苦手を克服する際、熱意があった事については克服した経験があるかと思いますし、熱意がなく、特に自分に必要性は感じていないのに他人から言われたことなどは、克服できずに終わっているのでは無いでしょうか?

    社会に出て、結果を出す人とそうでない人の違いの一つとして、同じ失敗を繰り返さない。と言う能力があると私は思います。

    適切な対策を打てれば同じ失敗はしません。しかしながら本質から逸れた対策を実施している限り、また同じ失敗を繰り返してしまいます。

    方法論を教えるのも大事ですが、本人が自ら克服したい。と思わなければ結局は変わらない気がします。どうやって本人に克服したいと思わせるか?

    コーチとしてコーチィへの動機づけ、とても大事ですよね。

    どうやってコーチィの内省に働きかけるか?

    そこはコーチとして熱意を持って携わりたいですね。

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  • なぜルールが存在するのか?

    例えばですが、交通ルールを思い出して下さい。ルールがなかったらどうなりますか?

    そう、事故が起きてしまいますよね?

    逆説的な事を言えば、交通ルールを破る人がいるから事故が起きるのでしょうか?

    事故を起こさない為にもルールは必要ですよね?

    一方でブラック校則のように意図がわからず、同調圧力のみを求めるルールもありますよね?

    茶髪禁止、ツーブロック禁止、指定以外のバッグ、靴、制服の着用禁止などなど、既得権の温床ですね(笑

    例えばですが、子育てにおいては一般的にルールを作るのは親が主導かと思います。

    >朝起きたら布団を畳む

    >トイレ、洗顔、歯ブラシの実施

    >朝食は家族揃ってダイニングでいただく

    >父親と一緒に駅まで徒歩で向かう

    >帰宅後は宿題を最初に実施

    >友人と遊んでも構わないが門限は18;00

    >門限を過ぎたらお小遣い10%減

    >夕飯は決まった時間に食べ始める

    >食事中は携帯を触ることはもちろんT Vも禁止

    >最後にお風呂に入った人がお風呂掃除をする

    >お風呂は最初に身体を洗うか、最初に湯船に浸かるか?

    >携帯電話やゲームは1日1時間まで、

    などなど、一見意味があり正しいように見えますが、結果に科学的根拠が見当たらないものが多い気がします。

    何でもかんでも科学的根拠を武器に正論が正しいと言うつもりはありませんが(笑

    語弊を恐れずに言うと、ルールを作れば管理する方は楽なんですよ。ルールを守るっていう大前提があって、破ったら破った事実を盾に相手を責められるわけです。責める事によって自分の優位性を相手に示すことができるのです。

    一方でルールがない中で、相手が自分の意図しない行動を取った場合、対応に困ってしまうのです。ルールは破っていないが自分の意図と違う結果に対して責めていいのかそれとも称賛すべきか?

    自分に自信がある人間は自分の意図と違う意見に対しても、寛大さを持ち合わせているので相手の意見を認め讃えることができます。

    しかしながら残念なことに、自分に自信のない人間は相手の意見を尊重することで自分のアイデンティティが失われるリスクに怯え、重箱の角をつつくように相手を責めるのです。

    さぁ、どちらのコーチの元で育った人間が大きな可能性を秘めたまま大海原に挑めるでしょう?

    問うまでもありませんよね?

    どうですか皆さん、相手の長所を見つけ伸ばせる声掛けができていますか?

    出る杭を打つような言動や行動は慎んでおられますか?

    ルールは秩序を守るために必要なものです。しかしながら過剰なルールは相手の主体性を失わせる諸刃の剣でもあるのです。

    やはり何事もバランスが大事ですね。

    Have a nice your journey!

  • 大企業病

    みなさんの所属する組織の意思決定はスピード感ありますか?

    何かを変更したくて先輩に相談したら、主任→係長→課長→部長→専務→社長と報告が上がり結論及び指示が、社長→専務→部長→課長→係長→主任→本人と返ってきたらどうします?

    社運を賭けた一大プロジェクトならまだしも、僅かな変更(主体的に現状をより良くしたいと思って行動すること)に対して何の自由もなく、毎回意思決定に対して制約ばかりかかるならば、アイデアを具現化するよりも上司を説得するために時間が割かれ、毎回重箱の角を突くような指摘ばかりされていたら新たなチャレンジを試みる風土、文化など根付かないと思いませんか?

    例えば学生スポーツですが、基本的にはコーチ/監督が指示を出しますよね。過去の経験から最適な結果に導くために練習や指示をすると思うんですよね。

    あなたは練習の質を上げれば、試合で起こり得るシチュエーションの全てを網羅し、対策/対応を完璧に習得できると思いますか?

    私は思いません。もし、私がコーチならば、最低限のフィジカルを鍛えるメニューは行いますが、できる限りゲーム形式の練習を増やし、想定外の物事が起きたとき、どうやって瞬時に自分の考える最適な結果に導くための行動を取れるか?をひたすらトレーニングすると思いますね。

    何でミスしたんだ?

    こんな声掛けは愚の骨頂ですよね(笑

    数十年前の学生スポーツでは当たり前のように飛び交っていた罵声ですけど(涙

    世の中、思い通りに事が運ばないことの方が多いわけです。

    目の前の事象が思い通りに進まない時こそ、クリエイティビティを発揮し正解が何なのか分からない状態でも、物事を前進させるくらいのバイタリティを持つ人材を育てたいじゃないですか。

    目の前の正解を手に入れる。それはとても大切なことかと思いますが、何をするにも姑のように上司の決裁が必要になってしまうと、現場のプレーヤーが誰も頼れる人がいない時に瞬時に判断する能力が育まれなくなり、いつまで経っても一人前にならない気がします。

    率先してミスを起こせとは思いませんが、本人の成長のためにある程度のミスは許容できる土壌が欲しいですよね。

    スポーツにしても仕事にしてもミスは付きものだと思います。ミスをさせないようにサポートするよりも、どうしてミスしたのか?どうすれば同じ過ちを繰り返さないか?を本人に考えさせる方が何倍も重要かと思います。

    プレーヤーがコーチの顔色を伺い、部下は上司のご機嫌取りをやっているようでは、とても健全ではありませんし成長速度が上がるわけありませんよね。

    意思決定を下の階層に移譲することで、仕事がスピーディに周り上層部は将来に向けた投資に集中できるのではないでしょうか。

    あなたの組織は上層部の現場視察が大名行列のようになっていませんか?

    それぞれの立場で必要な権限が移譲されスマートな組織になりたいですね。

    Have a nice your journey!

  • なぜ質問できない若者が多いのか?

    面接でも何でも良いのですが?

    質問ありますか?と聞いてまともに質問が返ってきたことありますか?

    本質を見抜けているか?とか、意図のある質問が出来ているか?なんて難しいことは聞いておらず、単純に疑問に思ったことはないですか?って聞いているだけなんですけどね。

    単純に何も疑問がないんですかね?

    個人的な意見ですが、コミュニケーションが苦手なんですかね?

    コミュニケーションとは意思の疎通かと思いますが、一方的に自分の意見を伝えるばかりではコミュニケーションは成立しません。相手が何を考えこちら側に何を求めているのか?などなど相手の意図を汲むからこそ成立するのではないでしょうか?

    お互いの意見が合わない事もあるでしょう。前回は自分の意見を通したから今回は相手の意見を尊重しよう。

    分かったつもりでいたが、最後までちゃんと話を聞かずに失敗したから今回はちゃんと最後まで相手の話を聞こう。

    面倒っちゃ面倒かも知れませんが、2人以上のコミュニティでは必ずコミュニケーションが発生します。いつも思い通りにはいかないですし、相手を怒らせてしまって雰囲気が悪くなることもあるかも知れません。それらの失敗を繰り返しながら学び、相手をリスペクトしながら意思疎通をする術を学んでいくのではないでしょうか。

    つまり質問がないと言うことは、相手への興味がないと言いますか、語弊を恐れずに言えば、自分にベネフィットがあれば一生懸命話を聞きますが、それほど興味がないことについては、食指が動かないんでしょうね。

    一昔前までは学校でも部活でも、全員が全員気が合う訳ではありませんし、気の合わない人とも付き合わなければならない事って否応にもあったじゃないですか。

    でも今はタイパ/コスパ重視で、自分と考えが合わない人とは付き合わない。という選択が尊重され、苦手な人とコミュニケーションを取ることが少なくなってしまっているように思います。

    ハラスメントとかいじめは絶対にいけない事ですよ。それらが原因で耐性を超えるストレスを感じてしまっている人に対しては保護しなければならないですよ。

    そうではなく、近所のカミナリ親父であったり、ステレオタイプの先生や癖の強い先輩やへそ曲がりな上司とコミュニケーションを取ることが、相手の意図を汲むことの訓練にもある程度にはなるのではないでしょうか。

    いつ何時でも自分の意思、意図が通用する訳ではなく、我慢して相手に合わせる事も必要です。

    子育てを通じて子供に我慢は教育できていると思いますか?

    子供の尊厳を守り、リスペクトしてコミュニケーション出来ていますか?

    親の言う事は聞きなさい。と言う理不尽な一言で子供の疑問を封じ込めていませんか?

    幼少期から我が子に対しても尊厳や存在に対するリスペクトを言動や態度で示し、1人の人間としてコミュニケーションの大事さ、失敗から学ぶことを繰り返したら自ずとコミュニケーション能力は身に付くと思うんですけどね。

    何事も幼少期から繋がっているとは思いますが、大人になってからでは遅い。と言う訳ではないと思うのですよね。

    いつかは分かりませんが尊敬できる人生の師と呼べる人との出会いがあれば、学ぶことの大事さ、主体性が身に付けば何歳からでも成長できると信じています。

    さ〜いっしょにがんばりましょう。

    Have a nice your journey!

  • なぜ若手は自分から動けないのか?

    個人的な感覚なんですけど、最近の若い子(新社会人に当たる18〜24才くらい)って良い子ばっかりじゃないですか?

    良くも悪くも良い子なんですよ。真面目だしルール守るし無茶しないし。すぐにハイって返事するし(笑

    申し訳ないけど、かといってコミュニケーション能力やクリエイティビティが高いか?と問われれば決してそんなことはなく、、、

    服装にしても髪型にしても、みんな似てないですか?小顔で色白でシュッとした子多いですよね。

    一方で色黒で脂ギッシュでギラギラした奴見かけないですよね(笑

    個人的にはもっとギラギラした奴が増えても良いんじゃない?って思いますけど。

    若者が将来に希望を持てなくなった。と言われて久しいですが、だからなんですかね?

    今のZ世代はコスパ、タイパ重視って言いますけど、無駄な労力は払いたくないって感じなんですかね。

    一昔前なら良い車欲しいとか、デカい家建てたいとか、わかりやすい夢を持っていた奴が一定数いたような気がしません?

    自分の夢を実現させるために、他人より努力して偉くなりたい!って我が道を行く奴がいたような気がしますが、今は無駄な労力を払うくらいならば、最低限の保証と最低限の暮らしができればそれでいい。って考えの層が多い気がします。

    なぜでしょう?

    何かを成し遂げるには、ある程度リスクを負う必要があると思うんですよね。リスク=失敗とも言えると思います。失敗を繰り返してそこから学んで何度もトライできる奴が目標を成し遂げることができるのではないでしょうか?

    失敗は辛いですよ。でも周りにいる人間が寄り添い、共感し励ましてくれる人だったら、また頑張れると思うんですよね。

    でも、周囲が他人の失敗を嘲笑し、蔑むような人ばかりだったらどうでしょうか?失敗に対する恐怖心ばかりが強調され、再チャレンジするどころか、何事も失敗しないことを無意識に最優先に考えてしまう癖が付いてしまうのではないでしょうか?

    承認欲求が強くSNSを活用して周囲の賛同を得たいと考える一方で、今の世の中が失敗に対して寛容ではなく、他人の失敗に対して過剰なまでに誹謗中傷する層も多いじゃないですか?

    それって経験の裏返しであって、自分が過去に失敗を周囲から責められたから、自分も落ち度がある人を叩いてしまうという構図があるような気がします。

    世の中が自分がどうしたいのか?ではなく人から批判を受けないためにはどうしたら良いのか?人からどう見られたいのか?といった他人軸が主流になっている気がします。

    何をやろうが、何を語ろうが批判する層は一定数存在します。ゴシップ好きは多いですし、自らの成長に時間を使うのではなく周囲のモチベーションを下げることに貴重な時間を費やす人間の何て多い事か(笑

    自分のモチベーションを下げる意見に過剰に反応することなく、自らの軸で考え行動することの大事さを是非、コーチングしたいですよね。

    失敗しない人間なんていませんし、失敗するから学べるのです。チャレンジするから失敗するのです。その貴重な学びの機会を得た過程をちゃんと見てあげて、どうやって次に繋げるか?をコーチングできたらもっともっと主体的に動ける人材が育つと思うんですよね。

    批判するのではなく、事実は事実として受け入れ、どうやって次に生かすか?そんな建設的な議論が色々なところで生まれたら、もっともっと失敗に寛容な世の中になると思いませんか?

    壮大な夢かも知れませんが、夢を語れる世の中が当たり前になるように歯車を回したいですね。

    いっしょにがんばりましょう!

    Have a nice your journey!

  • 解像度

    あなたの周りに、あなたよりも先を見通す能力の優れた方はいらっしゃいますか?

    もしくは、自分が考えるよりも広く深く物事を俯瞰して見れる能力を持った方はいますか?

    あなたと何が違うのでしょう?

    自分にはない着眼点を持った意見を聞いた時、あなたは不快な気持ちが多く占めますか?それとも素直に「ハッと」した思いが強く相手に対して畏怖の念を抱きますか?

    新しい視点を与えてくれた!って思えるか、それともマウントを取られた!って思うか。

    目の前に流れている事象は一緒ですが、どのように物事を捉えるかによって結果であったり今後の展開は全く違って来そうですね。

    恐らく極論は、相手に不快な思いをさせず新たなきっかけを与えられるのが、Executive coachですかね?

    コーチィが絶望を感じた瞬間、そこを底辺ではないと教える事も可能でしょうし、そこより闇は存在しないからあとは這い上がるだけだ。と教える事も可能でしょう。

    解像度って人によって捉え方が違うと思うんですよね。

    水平方向または垂直方向、広く浅くまたは狭く深く、主観か客観か?現実を知って絶望するのか?それとも先を見通せるのか?

    大多数が満足と思っても、ごく一部だけがもっと究極を目指したからこそ生まれたiphone、マイクロファイバーの機能性を極限まで高めたからこそ生まれたヒートテック、これまでの常識を覆すマラソン界を席巻した厚底シューズ。

    他と同じ解像度で開発しているのであれば、絶対に生まれなかったヒット商品だと思います。世間の平均を狙っていたら絶対に生まれていないのです。

    他人(競合)よりも解像度を高く持って分析し、到達目標を高く持ったからこそ生まれた商品ですし、それが消費者に伝わったからこそ世間に受け入れられたのだと思います。

    口で言うほど容易くないです。血の滲むような努力の先に差別化が生まれるのではないでしょうか。

    解像度が高い=世間の常識から外れている=世間に受け入れられない構図だと思います。

    しかしながら本物のイノベーターであったり、フロンティアは周囲からの評価など一切気にせず、自らの興味の赴くまま突き進むのでしょうね。

    解像度=その人が忖度を一切気にする事なく夢中になればなるほどより一層増しそうですね!

    他人にどう思われるかではなく、自分が何をしたいのか?何を成し遂げたいのか?

    解像度を上げるためには、先ずはそこからのような気がします。

    いっしょにがんばりましょう!

  • 健康

    皆さんはどうですか?健康の為に何かやっていますか?

    別に私自身、意識高い系でも健康オタクでもないのですが、心身ともに健康でなければ、新たなチャレンジなんて出来ませんよね。

    好きなものを食べて、行きたいところに行って、経験したいコトを経験して、全て健康でなければ実現出来ませんよね。

    経営者の人ってマラソンやトライアスロンなど、結構ハード目なスポーツを趣味とされている方が多いって言いますよね。

    勿論、壮絶なストレスに晒される経営を継続するためには、心身ともに健康な状態でなければ、正しい判断など出来ませんよね。身体を健康な状態に保つのも大きな理由でしょうが、OnとOffの切り替えであったり、自分の時間を作ることで瞑想や自分自身に向き合うための時間を設ける事で心もリセットされているのではないでしょうか。

    自己啓発もそうですが、ちゃんと自分自身に投資できる人が活力もあって成功する確率が上がるのではないでしょうか?

    脳が喜ぶことをご褒美として与えるのはとっても大事かと思います。セルフコーチングに似ているかも知れませんが、ドーパミンやセロトニン、オキシトシンなどが分泌される状況を作り出す事が脳のデトックスとなり物事を前進させる原動力となるのではないでしょうか。

    楽ばかりをしていたら達成感は得られないのですよね。

    高カロリーな物を摂取したらその分消費する。

    記録を伸ばしたければ、負荷をかけて新たな境地に挑む。

    知識欲を埋めるためには謙虚に学ぶ。

    相手にGiveして相手に喜んでもらう。

    などなど、達成感を得るためには自ら主体的に行動する必要があると思いませんか?

    心身ともに健康な状態を得るために努力するのはもちろんのこと、コーチィに対しても健康の重要性を説き主体性を育みたいですね。

    まずは、自らが率先して手本となりましょうか。

    わがままボディでは説得力が半減してしまいますもんね(笑

    Have a nice your journey!

  • 役割

    コーチの役割って何でしょう?

    以前にもブログに載せましたが、コーチィを支援し目的地まで送り届けることが役割かと思います。

    目的地まで送り届ける中で、やはりコーチィをモチベートし、内省化を促しポテンシャルを発揮させることが非常に重要だと考えます。

    しかしながら、世の中のコーチたちは相手に寄り添うのではなく、自分の中の正解を相手に押し付けるコーチングがどれほど多い事か。

    それだとモチベーションが上がらず、結果、長期的な生産性を削いてしまっている事に、どうしたら気づいてもらえるでしょうか?

    長距離競技出身のコーチが、自分の教え子に対して種目を問わず長距離メニューを課す。

    ピッチャー出身のコーチが、試合中、明らかに調子の上がらないエースを続投させ、ワンサイドゲームになってしまう。

    理系出身の先生が、文系の生徒にマウントを取る。

    運動部出身の上司/先輩が運動部出身の後輩を優遇する。

    などなど、自分の経験があたかも世の中の正解かのように信じ込み、周囲に振る舞うことが誤ったコーチングにつながっているように思います。

    世の中の常識は物凄いスピードで移り変わりますし、変化に対応できる人材を育てる必要があるのではないのでしょうか。

    目の前にいるのは決して自分の化身などではなく、別の個性を持った存在だと認める事ができたら、どうやって相手の個性を伸ばして内省させるか?に注力できますかね?

    日本人ってディベートが苦手じゃないですか?自分と違う意見=対立だと認識してしまう人、ケースが多いのが一因な気がします。自分と違う意見を持つ人がいるのは当たり前ですし、相手の意見を尊重することが多様性につながるのではないでしょうか。

    多様性がもっともっと生活に馴染んでくれば、年長者に対しても違う意見が言える風潮が生まれるでしょうし、年長者も若輩者が自分と違う意見を持つ事に対して違和感を持たなくなるのではないでしょうか。

    世の中(常識)が変わるのはとても時間がかかります。ですが誰かが異論んを唱えなけれは常識は動きませんし、もっと良くなる世界が待っていると信じて発信を続けたいですね。

    Have a nice your journey!