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  • 支える人と支えられる人

    あなたは人に尽くしたいですか?それとも尽くされたいですか?尽くされたいと言うのは少し語弊があるかもしれません。ありのままの自分でいたいと思いますか?

    恋愛に例えますと、相手に尽くして相手が喜ぶ顔を見れれば幸せなのか?それとも他人には見せられない自分の弱さや癖までもを愛してもらいたいのか?

    自分らしさって何でしょうね?

    自分らしさを説明してください。と言われて端的に客観的に自分を説明できる人ってどのくらいいるのでしょうか?

    あなたの周りにも居ると思うのですが、仕事上めちゃくちゃハイパフォーマーで処理能力の高い人。ですが一旦職場を離れて飲み会やプライベートになると急に緩くなって、ポンコツとまでは言いませんが、仕草や言動に非効率さが現れ、表情を含め愛らしくなる人。

    どっちが本当の人間性なんでしょう?

    どちらもですよね(汗

    人間、24時間365日、気を張り詰めて生きることはできませんし、OnとOffを上手にスイッチしながらバランスを取っているのでしょうか?

    プライベートでは力が抜けて職場でパフォーマンスを発揮する人。

    仕事中は冴えないけれども、プライベートの時間になったら子育てのスペシャリストになる人。

    仕事もプライベートも同じテンションで淡々とこなす人。

    どれが良いとも言いませんし、どの人に親近感を湧くか?も結局はその人の価値観になるわけで、、、

    やっぱり、両極端だと上手に世間と渡り合えない気がします。

    普段は相手を支えるけれども、自分が頑張った時は周囲から賞賛を受けたい。と思うのは当たり前の感情だと思います。いつも相手を支えてばかりですと、自分の存在意義に自信が持てなくなってしまう気がします。

    他人と話をする時、自分の話をする時に主語が私たちで話をする人。一方で何を話するにしても主語が私になる人。

    私たち。と言う主語を選べる人は無意識のうちに周囲へ目を配り自分の成功や成長は周囲の支えがあったからこそ。と言う認識を備えているように思います。

    一方で主語が常に私になってしまう人は、ひょっとすると周囲に対しての感謝の意が少なくなってしまいがちかも知れません。周囲のサポートには目が届かず、自分の能力が優れているからこそ結果を導き出すことが出来た。と自己認識が甘く俯瞰力が足りないかも知れません。

    誰だって頑張りを認めてもらいたいですし、褒めて欲しいとは思います。ですが、そこを我慢し踏ん張って、自分のできること、どうやって組織や自分の所属するコミュニティに対して還元できるか?

    損得ではなく周囲に対してホスピタリティの高い人が結局は一番成果を出しているように思います。

    目の前の損得よりも長期的な還元を意識してコーチングしたいですね。

    Have a nice your journey!

  • タイミング

    流れといいますか、運と言いますか、論理的に説明できない事象って実際ありますよね?

    身近なところで言えば、このおやつを食べたら宿題をしよう。って自分に言い聞かせた瞬間、母親から宿題はいつやるの?と言われやる気が失せてしまった瞬間。

    試合中にエラーが続いてしまう。会社でトラブルが続いてしまう。無駄な出費が嵩む。買うか買わまいか迷っていた商品が売れてしまう。などなど、生活を営んでいれば様々な不運に見舞われることがあるかと思います。

    一方で無欲の勝利じゃありませんが、期待しないで入ったレストランがとても美味しかった。とか、オリジナルのサイトで予約したら無料のアップグレードを提供された。とか、予期せぬ中でサプライズを受けることもあるかと思います。

    以前、このブログの中でなかなか組織に馴染めず、前向きな気持ちにもなれず、異動を希望する人材が私の職場に居るって話はしましたっけ(苦笑

    本人も辛い思いをしたでしょうが、本人の意図とは違い私の元で一時預かりとなりました。本人はフィジカルがついていかず、他部署への異動を希望しています。

    無理せず怪我せず、新たな異動先が決まるまで可不可なく過ごしてくれれば。と思っていました。しかしながらどれだけ待っても新たなオファーは来ませんでした。

    対象者は本意でなく現在の職場にいること、会社側が要望を聞いてくれないこと、現在の職場はフィジカルが対応できないこと。周囲に漏らす愚痴は全てがネガティブなんですよね。

    するとどうしても周囲に対してマイナスの影響が出てくるんですよね。

    やる気が見えない。感じられない。覚える気がない人に教えたくない。教える時間が無駄だと。

    私としても過誤できないレベルになってきてしまいまして、、、

    本人を呼んで話しました。

    現在、あなたが置かれている現状と立ち位置。ネガティブな発言が多いと運気を下げて、周囲に対しても悪影響を及ぼすこと。

    このままでは、あなたも我々も、会社も誰も幸せにならないこと。

    そして何より、コーチである私が今まで真剣に接しなかったことをお詫びし、今後は一人の部下としてコーチングを進めるので、マインドセットして自分ができることを探し、チャレンジして欲しい旨を伝えました。

    それが先週の金曜日なのですが、週明けの月曜日である今日、会社側から他部署への異動を含め提案したいことがあると、、、

    何とタイミングの悪いことでしょう(涙

    お互い、少しだけ距離が縮まってこれから相手のポテンシャルを引き出そう。と思って自ら鼓舞した瞬間に箍を外されたようになってしまいまして、、、

    この先どうなるか分かりませんが、もうしばらく私の元に預けて欲しい旨を会社に直訴しようと思います。

    お互いHappyになれるか分かりませんが、コーチとして力量の見せ所だと思いますし、やれるだけチャレンジしたいと思います。

    一朝一夕に結果など出ません。

    どうなるか分かりませんが、コーチィの可能性を信じて寄り添いたいと思います。

    一瞬でも私を信じてくれたのであれば、コーチィのポテンシャルを発揮し、目の輝きを取り戻すまで寄り添いたいと思います。

    困難な旅になるでしょうが、相手に不足なしです。お互い成長しながらゴールを目指しましょう。

    Have a nice your journey!

  • 美しさ

    皆さん、侘び寂び(わびさび)を感じたり意識したりすることは日常にありますか?

    簡素で古びたもの、控えめで静かな状態。それらの価値に気づきそれらを美意識と捉え、豪華絢爛な世界とは一線を画す状態でしょうか。

    新しい物は便利で機能美に溢れているものが多いですよね。一方で古いものは重く扱いづらい印象でしょうか、しかしながら素材の質であったり深みや作り手の魂が宿った佇まいなど、古いものにも良さはたくさんありますよね。

    人ってどうなんでしょう。

    新しいことにチャレンジしたり、新しい知識や発見を得ることは成長に繋がる気がします。一方で考え方などをアップデートが苦手で過去から脱却できない人は、どんどん意固地になってしまうような気がします。

    しかしながら見方を変えますと、自らの能力をアピールしたり煌びやかな体験、経験をこれ見よがしにアピールするよりも、飾らず凝らず身の丈に合った生活を送る中で、人に優しく思いやりのある芯の強い人間性に憧れますよね。

    人間性ってコーチングできるんですかね?

    自分にとって何が大事なのか?はコーチングできると思うんですよね。その結果、自らの頑張りであったり、自らの発信に共感してもらいたい。他人から認められたい。って解が導き出されたらどうしようもないですかね?

    そりゃ〜他人から褒められたり共感を得られたら嬉しいかも知れませんが、それよりも自分の内省に働きかけて、周囲からの評価を全く気にしないとしたら本当にやりたいことは何か?それが社会や人のためになることだとしたら、より素敵ですよね?って気づきを与えたいですよね。

    他人を評価してゴシップ流している輩が1人でも多く減って、自らの軸で輝く人生を歩む人を多く生み出したいですよね。

    かなりチャレンジングな目標ですが、いっしょにがんばりましょう!

    古来からある日本的な美意識を無くしてしまうにはもったいない文化だと私は思います。

    Have a nice your journey!

  • 思いやり

    自分を責め過ぎない自己肯定感はすごく大事ですし、自分の軸で物事を判断することの重要性をこのブログで説きました。

    しかしながら、他者との営みの中で自分勝手に振る舞っていい。と言う話ではないんですよね。

    自分の好きなことと他人の好きなことは違いますしね。好きな食べ物、嫌いな食べ物、心に響く映画の種類、心躍らせる経験、ときめく瞬間、歩くスピード、食事の嗜み方などなど、例え家族であっても全く一緒と言うことはあり得ないことかと思います。

    その違いを認識し、状況に合わせて相手のペースに合わせる器って備えたいですよね。

    恋人や家族、組織の仲間といった身近な存在であればできる人は多いかも知れません。ですが究極はライバルに対しても塩を送るのではなく、リスペクトが欲しいですよね。

    1分1秒を争うライバルだとしても、相手が最高のパフォーマンスを発揮した中で上回るのが最高の結果だと思います。

    例えばですが、マラソンの国際大会で、給水を失敗してスペシャルドリンクを取り逃がした選手に対して、並走するライバルが自分のドリンクを渡してあげる。甲子園で炎天下の中、足を攣ってしまった相手選手に手当を施す。極論を言えば生きるか死ぬかの瀬戸際で、食料を分け与える。水を差し出す、酸素を提供する。などなど、損得ではなく、本能的に相手に手を差し伸べることができる人って尊いですよね。

    もし、あなたが人生を共にする伴侶を選択する岐路にいるとして、この人と一緒になった後、仮に砂漠に二人だけが取り残された状況に陥ったとして、「水を分け与えられる関係か?」「自分は拒んで相手に水を託すか?」「この人は笑顔で水をくれるだろうなって想像できるか」それとも「力に任せて水を奪われてしまうんだろうな」って思ってしまうか。

    それぞれの関係性であったり、気持ちの持ちようだったり、様々なバックグラウンドによって最適な解は変わって来るかと思います。

    コーチとして何が最適か?

    答えはないですね(汗

    解はコーチィの中にあるのですから!

    相手に尽くしたい人もいれば、尽くされたい人も居ますし、運命共同体として苦楽を共にしたい。って思う人もいると思うんですよね。

    コーチとしてはコーチィの内省に働きかけて、コーチィはどのように行動するのが最適なのか?寄り添うのが役目ですよね。

    その過程の中で、自分と相手の違い、相手が何を求めているのか?多様性を育みながら思いやりという観点も取り入れたいですね!

    お前はどうかって?

    もし、自分の欲よりも大事な人が身近にいるならば、その人の笑顔を見たいですし、どうすれば笑顔が溢れる日常を送れるか?相手の笑顔を作り出すこと=自分軸って拡大解釈しますかね(笑

    だってその笑顔=生きる原動力じゃないですか(笑

    究極の思いやりって、結局は無償の愛ではないでしょうか。

    世の中、全ての事象に対してに白黒は付けられませんし、ロジックが破綻することもあっていいと思うんですよね。

    それが人間らしさではないでしょうか。

    Have a nice your journey!

  • 言霊

    リーダーシップと言う言葉には周囲に良い影響を与えると言う意味合いで認知されていると思いますが、実はネガティブなリーダーシップもあるのです。

    出来ない、無理だ、歳だから、苦手なので、やったことないので、などなど、ネガティブな発言を日常的に発していると、周囲にいる人達のやる気も削いでしまうことになり、悪影響を及ぼしてしまいます。

    また、悪い事に手を染めるとか、組織に対して反抗的な態度を取ったり、人の悪口を言ったり。と言うのも結果的にネガティブなリーダーシップを発揮してしまう事になってしまうのです。

    夢を掴む、目標を達成する。といった営みの中でコーチとしてはコーチィの発する言葉にも意識を向けたいですね。ネガティブな発言ばかりしている人は運気が下がり、とてもではありませんが目標に到達などできません。

    例えばですが、自分の意図と違う環境に置かれてしまった人が居るとします。(転勤、部署異動、クラス分け、チーム分け、などなど)するとどうでしょう。どうしても気持ちが前向きになれず、意図せずともネガティブな気持ち、発言が多くなってしまいがちになってしまうのではないでしょうか。

    自らセルフコーチングを用いて、環境のせいにする事なく自らできることに集中できる人は良いですが、世の中の大多数はなかなか現状を受け入れることができず、負のスパイラルに陥ってしまうのではないでしょうか。

    コーチング、メンターがもっと当たり前の世の中になれば、内省への働きかけと、目標が明確になることでポジティブな気持ちになり、前向きな発言が多くなるのではないでしょうか。

    ネガティブな発言ばかりしていると、運も実際の結果も悪い方向に向くのではないでしょうか、一方で逆境に陥った時ほどポジティブな発言を心がけ、自らを鼓舞できる人は周囲を巻き込んで好循環を作り出せるのではないでしょうか。

    言霊と言う言葉がありますが、私も人が発する言葉には魂が宿っていると思います。

    コーチィを信じ、寄り添い、ポジティブな言葉をかけ続けることで成功に近づくのではないでしょうか。

    世の中楽しいことばかりではありませんが、自らを鼓舞し周囲を明るく照らそうではありませんか。

    Have a nice your journey!

  • 困難な道を選ぶ

    偉人や著名な成功者は皆、選択を迷った時は困難な道を選んだ方が、後の成功や成長に繋がるという趣旨を言う人が多いですよね。

    例えばですけど、明日、健康診断を控えているのに欲に負けて暴飲暴食するとか、試合が近いのに鍛錬よりも遊びを優先するとか、非常に分かり易い選択ならば、自らの判断で選択し、もし結果が伴わないのであれば、自分で反省できるかと思います。

    しかしながら、受験する高校や大学を選ぶ、就職先を選ぶ、業務命令の転勤と家庭優先のプライベート重視どちらかの未来を選ぶ、Projectをどのように進めるかとか、そもそも事業から手を引くか?などなどちょっとやそっとじゃ選べない事も多々ありますよね。

    どうやって選んだら良いのでしょうか?

    自分の特技、長所を理解したうえで自分が輝けそうな進学先、就職先を選んだとして、理想と現実のGapを受け入れられず精神的ダメージを負ってしまう方もいらっしゃると思います。

    そこで素敵なメンターやコーチに出会えば、現実の受け入れ方、自らの考え方、物の見方が変わり壁を乗り越えられるかも知れません。しかしながら世の中そこまで幸福な人は少ないように思います。一人で悩み自分を責めGapに苦しむ人も多いのではないでしょうか。

    なかなか自分の力だけで苦難を乗り越えるのは難しいですよね。

    個人的な意見ですが、世の中が失敗やピボット(方針転換)にもっと寛大であれば、自らの選択が間違ってたと周囲に打ち明け、違う道を探して再出発すればいいだけな気がします。

    ですが本人は、周囲に失敗を知られたくない。お世話になった人に顔向けできない。一番近い存在であるはずの家族にでさえバレたくない。と思っているのではないでしょうか。

    それはなぜか?

    幻滅されたくないと思っているのですかね?

    大多数の人々は失敗を罵る事なく、新たなチャレンジを応援してくれるような気がします。思い悩んで失敗を打ち明けたら、思いの外すんなり受け入れられた。と言う経験をみなさん持っていないですか?

    それなのになぜ打ち明けられないのか?

    人間、喜びよりも恐怖や恥じらい、劣等感を受けた記憶の方が圧倒的に心の傷として残っているような気がします。

    つまりは、再び傷つくのが怖くて打ち明けられないのではないでしょうか?

    さあ、皆さんの出番ですよ!

    自ら選択して一歩を踏み出した勇気、現実を実際に見たからこそ得られた経験など、出来たこと得られたことを共感して、まずは支援しましょう。

    同じ過ちを犯さないために、次は何を準備するべきなのか?どのようにして情報収集すべきか?自己認識にアップデートはないか?本人が経験と学びを正しく認知するために、質問を繰り返してあげて下さい。そうすると頭の中が整理でき、学びを具体的に言語化できるようになるのではないでしょうか?

    続いて本人の口から、次にすべき事象が具体的に述べられたら、1段コーチィはステップアップしたのではないでしょうか?

    全ての選択問題を毎回正解するクイズ王なんていませんよね?

    ましてや凡人の我々は選択は間違うものと思っていても良いのではないでしょうか?

    失敗しても立ち上がり、成功するまで継続することが、成長であり成功につながる道のような気がします。

    コーチこそが失敗を認め、失敗から何度も立ち上がる姿を率先して示そうではありませんか。

    未来の世の中がもっともっと失敗やピボットに寛大になるように。

    Have a nice your journey!

  • 正論

    ごもっともです。そのためにルールがあるのですから、、、

    交通ルールを守って制限速度で車両を運転する貴方は正しいです。

    ルールを破ってショートカットすることで、何かしらのリスクが上がることは承知しています。

    むしろ何かしらの失敗があったからこそ、ルールができた訳で、、、

    例えば早朝5:00に急に意識を失った我が子を車に乗せて病院へ向かう途中、幹線道路に合流する信号が赤でした。一刻も早く病院に行きたい父親が周囲の安全を確認して信号無視をしたとします。

    貴方はルールを破った父親を責めますか?

    それともルールよりも事情と環境を鑑みて、自分が最善だと思う行動を取った父親を称賛しますか?

    恐らくですが、我が子を病院に送り届けて子供の命を救った父親は称賛され、万が一事故を起こしたりして病院への到着が遅れ我が子の命を危険に晒した場合、周囲から糾弾される訳です。

    我が子を守りたい。という目的は一緒なのですが、その時取った行動と結果により、周囲からの評価は180度変わってしまいます。

    時間と環境が許すなら、信頼できるコーチや周囲に合意をとってから方策を決めたら良いのです。しかしながら、現場に集う当事者同士の中で最善の選択を迫られることの方が多いのではないでしょうか。

    貴方は何を拠り所として判断を下しますか?

    信号を守れば不慮の事故は防げるかも知れないが、当事者の命を危険に晒すことにならないだろうか?

    一方で信号を守らないリスクはあるが、子供を最短で病院に送り届けることが可能かも知れない。

    大なり小なり、様々な可能性を天秤にかけた中で皆さんは判断を下しているのだと思います。

    >自転車の乗車時にヘルメットを着用するか否か。

    >自家用車の運転中、制限速度を守るか否か。

    >出された宿題を期限内に完了すべきか否か。

    >処方された薬を定められた方法、頻度で服用するか。

    >門限を守るか否か。

    >自分で決めたダイエットメニューをこなすか否か。

    法律と呼ばれるそのコミュニティに属する者たちが守ることを前提としたものから、組織が努力義務として定めたもの。法的義務は全くないが自ら派生したものなど、世の中には様々なルールが存在するかと思います。

    他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい。

    などと極論を言うつもりはありませんが、

    >筆は右手で持ちなさい

    >お味噌汁は右に置きなさい

    >帰って来たら宿題を先にやりなさい

    >ゲームは1日1時間以内にしなさい

    >先輩の言うことはちゃんと聞きなさい

    >上司に意見してはいけません

    >自分の考えよりも伝統を重視しなさい

    などなど、科学的エビデンスを持たない当たり前を押し付けられる状況も世の中には存在する訳で、、、

    ルールを守ることで、自分は正しいことをしている。自分は周囲の期待に応えている。というような安心感が生まれるかと思います。

    そのような状況下で、ルールを守らない他人を見かけたら、何で?という疑問を持つのは当たり前かも知れません。

    ルールを守らない他人に対して嫌悪感を持つということは、ひょっとしたらルールを守っている自分を正しいと思う一方で、窮屈な思いを抱いているのかも知れません。そんな本心に従わない行動をしている自分を棚に上げ、自由に振る舞う他人が羨ましいから疎ましく思う気持ちが生まれてしまうのではないでしょうか?

    ルールを守ることで最良の結果を得られる。と信じているか、若しくは自由に振る舞っているのが許せないのか?自らの価値観で自らの行動に責任を持つなら構いませんが、自らの価値観を他人に強要すると関係がこじれてしまいますよね。

    貴方がコーチだとして、世の中に存在するルールを守ることについて100%コーチィに求めますか?

    いくら相手のためだと思っても、ストレスを与えてしまうことにはならないでしょうか?

    積極的にルールを破れ。と言うつもりは毛頭ありません。しかしながら何もかもルールやしきたりにがんじがらめにされると、新しいアイデアなど到底浮かびませんし、非常に窮屈で個性が奪われる気がします。

    たまには正論だけでなく、人間らしさ弱さを見せて共感することで信頼が生まれることもあるのではないでしょうか?

    繰り返しますが、積極的にルールを破って反社的な行動を推奨している訳ではありません。

    飴と鞭ではありませんが、たまに許される癒しがあった方が営みにハリが出ませんか?

    という弱いコーチの小言でした。

    Have a nice your journey!

  • 一人前

    親離れ、子離れ。

    どうですか?皆さんは特に大きな挫折もなく親離れ、子離れできましたか?

    親としては、子供が心配なので、子供が孤立したり失敗したりしないようにサポートしたくなりますよね?

    一方で子供としては、過干渉な親を鬱陶しく思う日が来るんですよね(笑

    以下、主観になりますが、

    あれこれ口出しの多い親は、子供がいくつになっても口出ししてしまう傾向が強い気がします。例え子供が成人しても、これだけ親としてあなたに尽くしたのだから、あなたはちゃんと恩を返すわよね?と言う無言の圧力が強い気がします。

    親という立場を忘れ、最悪は恩着せがましく子供に見返りを求めてしまう親も一定数存在するように思います。

    一方で放任主義というか、早くから子供の人格や責任を上手に委譲できてた人(親子)は、スムーズに自立心が育ち当事者意識を持てるような気がします。

    心配だから、あなたのためを想って、失敗や苦労をして欲しくない。本当に本人のためになるでしょうか?当事者意識を阻害する要因になっていませんか?

    困難の壁にぶつかった時、自分の意思、体力、熱意でその壁を乗り越えて、更には壁を乗り越えた暁にはその壁を今度は防波堤として味方に付けるくらいの強さを備えて欲しいと思います。

    親が、上司が、先輩が、壁自体を取り除くことが本人へのサポートだと思っているのであれば、それは歪んだ愛情を注いでいることと同義語な気がします。

    困難を避けるのではなく、困難に争い立ち向かい自らの意思で乗り越える術を身につけることが、本人のためになるのではないでしょうか?

    「可愛い子には旅をさせよ!」

    昔の人は良く言ったもので、的を得ている諺だと思います。

    自分の足で立って、自ら得た叡智や経験を元に自らに降りかかる困難に立ち向かって欲しいですね。

    可愛い我が子、可愛い弟子こそ旅に出てもらいましょう!

    同時に師であるあなたも新たな境地を目指して旅に出る勇気を持とうではありませんか。

    Have a nice your journey!

  • 人の本性

    人間、逆境に陥った時ほど、本音であったり本性出ますよね。

    不本意な結果を受け入れることが出来るか?その結果を自らが招いたと思えるか?それとも周囲の環境のせいにして自らの責任を放棄するか?

    世の中、人生なんて思い通り行かない事の方が多いじゃないですか。

    思い通りにいかなかった時に、全ての責任を環境や他人のせいにして現実から目を逸らす人と、冷静に自分の行動を振り返り、自分の行動で改めることは無かったか?と自問自答できる人間と、どちらが成長しますか?と問われれば後者ですよね?

    でも、実際のところ人間、そこまで強い意志は備わっていないと思うんですよね。

    例えばですけど、いつも責任を転嫁する人を見て、「ああ、また他人のせいにしている!」って言うのは簡単なんですよ。

    本人のプライドや人間性を否定する事なく、責任を転嫁するだけでなく僅かでもいいから、自分事として物事を捉えた時に何かできることはない?と気づきを与えられるのがコーチングだと思うんですよね。

    評論家になって他人を否定するのは簡単なんですよ。

    如何に当事者意識を持って、相手に気づきを与えらるか?

    組織の中で浮いてしまっている人材に対して、周囲と同調して否定するのではなく、その人の良いところ、長所を見てあげて肯定しながら気づきを与える。

    言葉で言うほど簡単ではないかも知れませんが、それがホスピタリティであり、コーチングの本質な気がします。

    島国根性丸出しで転校生をいじめる。とか元気の良い目立つ後輩を痛めつけるとか、出る杭を打つとか。

    もういい加減やめたいですよね。

    多様性をそれぞれが認めることで、自分らしさに素直になれると思うんですよね。

    そりゃ誰だってわがままな自分、他人を蔑む醜い自分、欲にまみれた自分、黒い部分があってもいいんです。お互いの本性を認めてあげることができたら自分を過大評価して無理に承認欲求を求めることも無くなると思うんですねどね。

    生まれながらの悪党なんて存在しないと思いますし。

    赦せる世界を目指したいですね。

    Have a nice your journey!

  • 権力

    最近、超大国のリーダーが見境なく、自らに反抗する勢力に対して軒並み大鉈を振るっている様子をニュースで見ますよね?

    そりゃ〜誰だって、自分の意見に賛同してくれる人はありがたいし、シンパシーを感じますよね。しかし世の中には一定数の割合で自分とは考えの違う層は存在するのが定石かと思います。考えが違うからと言って左遷したり懲罰を与えていい理由にはなりませんよね。そんな事してたら自分の周りにはYesマンしか集まりませんし、自分と違う意見を排除していたら軋轢しか生みませんよね。多様性とは真逆の争いが絶えない社会が形成されてしまいます。

    これまで歴代の世界に誇るリーダー達が地道に築き上げてきたモラル、道徳を踏み躙るような言動や権力の乱用は、いかがなものかと思います。

    自分の意見に従わなかった者については、鉄槌/粛清を下す。

    リーダーがやっていい行動ではないですよね。

    個人の能力ではなく、自分にどれだけ忠誠を誓うか?が出世に影響する。おべっか(おべんちゃら)の上手な奴が要職を手に入れる。

    そんな世の中でモチベーション上がりますか?

    結局は上に立つ人間の器によって組織の文化が醸成され、所属する人間の成長する可能性が決められる気がします。

    トップの人間が俺の言う事を聞け。と言うタイプのリーダーだった場合、その組織や所属する人間が営む行動であったり、仕事のアウトプットはトップの人間が想像できる範疇にしかならないのです。

    一方で、トップの人間が部下や組織人の感性や可能性を信じ、様々なチャレンジを容認している場合、アウトプットや成長は無限大の可能性を秘めているのです。

    リーダーたるものどっしりと構えて、部下たちが最大のアウトプットを出せるようにサポートしたいですね。目先の結果ではなく長期的視野を持って、組織と個人の成長を促すのが役目ではないでしょうか。

    そもそも他人様に言うことを聞かせようと言う思想が間違っているような気がします。自らの意見はあくまでも選択肢のうちの一つであって、世の中には選択肢が無限大に広がっていることを教えなければ、成長の機会を奪ってしまうのです。

    レストランに行って自分の頼みたい料理も頼めないような会食が楽しいですか?

    先輩や上司にひたすらおべんちゃらを伝える飲み会に行きたいと思いますか?

    結果、能力よりも忠誠心によってレギュラーが決まるクラブチームに在籍したいと思いますか?

    自分のやりたいことより、上司の顔色ばかりを伺う組織に創造性が生まれると思いますか?

    上司、監督、リーダーたるもの、自らの権力ではなく自らの器と人間力で組織を繁栄させて行こうではありませんか。

    若者達がこの国の将来に希望を持てるように!

    Have a nice your journey!