投稿者: Give_san

  • 正論

    ごもっともです。そのためにルールがあるのですから、、、

    交通ルールを守って制限速度で車両を運転する貴方は正しいです。

    ルールを破ってショートカットすることで、何かしらのリスクが上がることは承知しています。

    むしろ何かしらの失敗があったからこそ、ルールができた訳で、、、

    例えば早朝5:00に急に意識を失った我が子を車に乗せて病院へ向かう途中、幹線道路に合流する信号が赤でした。一刻も早く病院に行きたい父親が周囲の安全を確認して信号無視をしたとします。

    貴方はルールを破った父親を責めますか?

    それともルールよりも事情と環境を鑑みて、自分が最善だと思う行動を取った父親を称賛しますか?

    恐らくですが、我が子を病院に送り届けて子供の命を救った父親は称賛され、万が一事故を起こしたりして病院への到着が遅れ我が子の命を危険に晒した場合、周囲から糾弾される訳です。

    我が子を守りたい。という目的は一緒なのですが、その時取った行動と結果により、周囲からの評価は180度変わってしまいます。

    時間と環境が許すなら、信頼できるコーチや周囲に合意をとってから方策を決めたら良いのです。しかしながら、現場に集う当事者同士の中で最善の選択を迫られることの方が多いのではないでしょうか。

    貴方は何を拠り所として判断を下しますか?

    信号を守れば不慮の事故は防げるかも知れないが、当事者の命を危険に晒すことにならないだろうか?

    一方で信号を守らないリスクはあるが、子供を最短で病院に送り届けることが可能かも知れない。

    大なり小なり、様々な可能性を天秤にかけた中で皆さんは判断を下しているのだと思います。

    >自転車の乗車時にヘルメットを着用するか否か。

    >自家用車の運転中、制限速度を守るか否か。

    >出された宿題を期限内に完了すべきか否か。

    >処方された薬を定められた方法、頻度で服用するか。

    >門限を守るか否か。

    >自分で決めたダイエットメニューをこなすか否か。

    法律と呼ばれるそのコミュニティに属する者たちが守ることを前提としたものから、組織が努力義務として定めたもの。法的義務は全くないが自ら派生したものなど、世の中には様々なルールが存在するかと思います。

    他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい。

    などと極論を言うつもりはありませんが、

    >筆は右手で持ちなさい

    >お味噌汁は右に置きなさい

    >帰って来たら宿題を先にやりなさい

    >ゲームは1日1時間以内にしなさい

    >先輩の言うことはちゃんと聞きなさい

    >上司に意見してはいけません

    >自分の考えよりも伝統を重視しなさい

    などなど、科学的エビデンスを持たない当たり前を押し付けられる状況も世の中には存在する訳で、、、

    ルールを守ることで、自分は正しいことをしている。自分は周囲の期待に応えている。というような安心感が生まれるかと思います。

    そのような状況下で、ルールを守らない他人を見かけたら、何で?という疑問を持つのは当たり前かも知れません。

    ルールを守らない他人に対して嫌悪感を持つということは、ひょっとしたらルールを守っている自分を正しいと思う一方で、窮屈な思いを抱いているのかも知れません。そんな本心に従わない行動をしている自分を棚に上げ、自由に振る舞う他人が羨ましいから疎ましく思う気持ちが生まれてしまうのではないでしょうか?

    ルールを守ることで最良の結果を得られる。と信じているか、若しくは自由に振る舞っているのが許せないのか?自らの価値観で自らの行動に責任を持つなら構いませんが、自らの価値観を他人に強要すると関係がこじれてしまいますよね。

    貴方がコーチだとして、世の中に存在するルールを守ることについて100%コーチィに求めますか?

    いくら相手のためだと思っても、ストレスを与えてしまうことにはならないでしょうか?

    積極的にルールを破れ。と言うつもりは毛頭ありません。しかしながら何もかもルールやしきたりにがんじがらめにされると、新しいアイデアなど到底浮かびませんし、非常に窮屈で個性が奪われる気がします。

    たまには正論だけでなく、人間らしさ弱さを見せて共感することで信頼が生まれることもあるのではないでしょうか?

    繰り返しますが、積極的にルールを破って反社的な行動を推奨している訳ではありません。

    飴と鞭ではありませんが、たまに許される癒しがあった方が営みにハリが出ませんか?

    という弱いコーチの小言でした。

    Have a nice your journey!

  • 一人前

    親離れ、子離れ。

    どうですか?皆さんは特に大きな挫折もなく親離れ、子離れできましたか?

    親としては、子供が心配なので、子供が孤立したり失敗したりしないようにサポートしたくなりますよね?

    一方で子供としては、過干渉な親を鬱陶しく思う日が来るんですよね(笑

    以下、主観になりますが、

    あれこれ口出しの多い親は、子供がいくつになっても口出ししてしまう傾向が強い気がします。例え子供が成人しても、これだけ親としてあなたに尽くしたのだから、あなたはちゃんと恩を返すわよね?と言う無言の圧力が強い気がします。

    親という立場を忘れ、最悪は恩着せがましく子供に見返りを求めてしまう親も一定数存在するように思います。

    一方で放任主義というか、早くから子供の人格や責任を上手に委譲できてた人(親子)は、スムーズに自立心が育ち当事者意識を持てるような気がします。

    心配だから、あなたのためを想って、失敗や苦労をして欲しくない。本当に本人のためになるでしょうか?当事者意識を阻害する要因になっていませんか?

    困難の壁にぶつかった時、自分の意思、体力、熱意でその壁を乗り越えて、更には壁を乗り越えた暁にはその壁を今度は防波堤として味方に付けるくらいの強さを備えて欲しいと思います。

    親が、上司が、先輩が、壁自体を取り除くことが本人へのサポートだと思っているのであれば、それは歪んだ愛情を注いでいることと同義語な気がします。

    困難を避けるのではなく、困難に争い立ち向かい自らの意思で乗り越える術を身につけることが、本人のためになるのではないでしょうか?

    「可愛い子には旅をさせよ!」

    昔の人は良く言ったもので、的を得ている諺だと思います。

    自分の足で立って、自ら得た叡智や経験を元に自らに降りかかる困難に立ち向かって欲しいですね。

    可愛い我が子、可愛い弟子こそ旅に出てもらいましょう!

    同時に師であるあなたも新たな境地を目指して旅に出る勇気を持とうではありませんか。

    Have a nice your journey!

  • 人の本性

    人間、逆境に陥った時ほど、本音であったり本性出ますよね。

    不本意な結果を受け入れることが出来るか?その結果を自らが招いたと思えるか?それとも周囲の環境のせいにして自らの責任を放棄するか?

    世の中、人生なんて思い通り行かない事の方が多いじゃないですか。

    思い通りにいかなかった時に、全ての責任を環境や他人のせいにして現実から目を逸らす人と、冷静に自分の行動を振り返り、自分の行動で改めることは無かったか?と自問自答できる人間と、どちらが成長しますか?と問われれば後者ですよね?

    でも、実際のところ人間、そこまで強い意志は備わっていないと思うんですよね。

    例えばですけど、いつも責任を転嫁する人を見て、「ああ、また他人のせいにしている!」って言うのは簡単なんですよ。

    本人のプライドや人間性を否定する事なく、責任を転嫁するだけでなく僅かでもいいから、自分事として物事を捉えた時に何かできることはない?と気づきを与えられるのがコーチングだと思うんですよね。

    評論家になって他人を否定するのは簡単なんですよ。

    如何に当事者意識を持って、相手に気づきを与えらるか?

    組織の中で浮いてしまっている人材に対して、周囲と同調して否定するのではなく、その人の良いところ、長所を見てあげて肯定しながら気づきを与える。

    言葉で言うほど簡単ではないかも知れませんが、それがホスピタリティであり、コーチングの本質な気がします。

    島国根性丸出しで転校生をいじめる。とか元気の良い目立つ後輩を痛めつけるとか、出る杭を打つとか。

    もういい加減やめたいですよね。

    多様性をそれぞれが認めることで、自分らしさに素直になれると思うんですよね。

    そりゃ誰だってわがままな自分、他人を蔑む醜い自分、欲にまみれた自分、黒い部分があってもいいんです。お互いの本性を認めてあげることができたら自分を過大評価して無理に承認欲求を求めることも無くなると思うんですねどね。

    生まれながらの悪党なんて存在しないと思いますし。

    赦せる世界を目指したいですね。

    Have a nice your journey!

  • 権力

    最近、超大国のリーダーが見境なく、自らに反抗する勢力に対して軒並み大鉈を振るっている様子をニュースで見ますよね?

    そりゃ〜誰だって、自分の意見に賛同してくれる人はありがたいし、シンパシーを感じますよね。しかし世の中には一定数の割合で自分とは考えの違う層は存在するのが定石かと思います。考えが違うからと言って左遷したり懲罰を与えていい理由にはなりませんよね。そんな事してたら自分の周りにはYesマンしか集まりませんし、自分と違う意見を排除していたら軋轢しか生みませんよね。多様性とは真逆の争いが絶えない社会が形成されてしまいます。

    これまで歴代の世界に誇るリーダー達が地道に築き上げてきたモラル、道徳を踏み躙るような言動や権力の乱用は、いかがなものかと思います。

    自分の意見に従わなかった者については、鉄槌/粛清を下す。

    リーダーがやっていい行動ではないですよね。

    個人の能力ではなく、自分にどれだけ忠誠を誓うか?が出世に影響する。おべっか(おべんちゃら)の上手な奴が要職を手に入れる。

    そんな世の中でモチベーション上がりますか?

    結局は上に立つ人間の器によって組織の文化が醸成され、所属する人間の成長する可能性が決められる気がします。

    トップの人間が俺の言う事を聞け。と言うタイプのリーダーだった場合、その組織や所属する人間が営む行動であったり、仕事のアウトプットはトップの人間が想像できる範疇にしかならないのです。

    一方で、トップの人間が部下や組織人の感性や可能性を信じ、様々なチャレンジを容認している場合、アウトプットや成長は無限大の可能性を秘めているのです。

    リーダーたるものどっしりと構えて、部下たちが最大のアウトプットを出せるようにサポートしたいですね。目先の結果ではなく長期的視野を持って、組織と個人の成長を促すのが役目ではないでしょうか。

    そもそも他人様に言うことを聞かせようと言う思想が間違っているような気がします。自らの意見はあくまでも選択肢のうちの一つであって、世の中には選択肢が無限大に広がっていることを教えなければ、成長の機会を奪ってしまうのです。

    レストランに行って自分の頼みたい料理も頼めないような会食が楽しいですか?

    先輩や上司にひたすらおべんちゃらを伝える飲み会に行きたいと思いますか?

    結果、能力よりも忠誠心によってレギュラーが決まるクラブチームに在籍したいと思いますか?

    自分のやりたいことより、上司の顔色ばかりを伺う組織に創造性が生まれると思いますか?

    上司、監督、リーダーたるもの、自らの権力ではなく自らの器と人間力で組織を繁栄させて行こうではありませんか。

    若者達がこの国の将来に希望を持てるように!

    Have a nice your journey!

  • 結果と成長

    あなたは目先の結果と将来の成長のどちらを優先しますか?

    想定外の事が起きた時、目の前で問題が起きた時、コーチの皆さんはどのように対処しますか?

    安全で確実な結果に導くためにティーチングの要素を多く入れてコーチィを誘導しますか?

    それとも目先の結果に一喜一憂する事なく、コーチィに寄り添い遠回りしてでもコーチィの成長を求めますか?

    例えばですが、進学塾なり高校なりの指導方法として、国立大学の合格者数を目的にしていたとします。

    本来、生徒の個性や内省に寄り添えば、正解は国立大学だけが全てではないと思います。

    しかしながら、目的が生徒の成長ではなく、短期的な国立大学の合格者数になってしまうと、生徒の内省よりもあたかもそれが正解のように国立大学を志望するように仕向ける指導がまかり通ってしまうのではないでしょうか?

    統計が無いので(私の中で)エビデンスはありませんが、どちらのコーチに従事して進学した生徒が充実した学生生活と先に続く社会人生活が希望に満ち溢れているかと言えば、自らの内省に寄り添う指導をしてもらった生徒の方が充実した未来を描けるのでは無いでしょうか。

    様々な事情はあると思いますが、組織(学校)としては目に見える結果を欲しがりますよね。

    もしあなたが進路指導の教員であったとして、上を見て自分の信念に蓋をしてまで、上が望む結果を求めるのか?

    それとも、上からのプレッシャーは上手にいなし、自分の信念に従って生徒(コーチィ)の進路指導をすべきか?

    もちろん、理想は後者かと思います。

    みんな分かっているとは思うんですよ。後者が理想だとは、でも権力に屈するのか、理想を貫くことに疲弊してしまうのか、はたまた青臭い理想を掲げる自分に嫌気が差すのか?

    理想とは違った行動を正当化してしまう弱さを、我々生身の人間は自覚すべきかと思いますし、当事者として考えたいですね。

    コーチの皆さん。巨大な権力に立ち向かうのが最良の方法だとは決して思っていません。

    しかしながら、コーチィのポテンシャルは最大に発揮させたいですよね?

    是非、長期的視野を持ち、目先の結果に一喜一憂することなくコーチィの成長を見守りたいですね。

    いっしょに正しいコーチングを広めましょう!

    Have a nice your journey!

  • 偉そうなコーチ

    一昔前はコーチ/師と呼ばれる方々は威厳こそが、最強のツールであるかのように弟子たちに振舞っていました。

    師の前で弟子たちは直立不動で、教えを乞うていました。反論など許されるはずもなく、師が黒と言えば全てが黒になっていました。そのような教育がまかり通っている限り、指導を受ける側は考えることを止めてしまいますよね。

    しかし、今となってはもはや威厳による指導は時代遅れとなっていますよね。

    最近のコーチの象徴としては、WBC日本代表監督の栗山監督、仙台育英高校野球部監督の須江監督、慶應高校野球部監督の森林監督、サッカー日本代表監督の森保監督、青山学院大学駅伝部監督の原監督など、各業界で成功しているコーチ業の方々は威厳ではなく選手に寄り添ったコーチング能力が長けているように映りますよね。それは決して選手を甘やかすとかではなく、個々の長所、短所を把握した上でコンフォートゾーンから抜け出させ、モチベートして更なる高みに引き上げるプロセスを取っているように見えます。

    世の中のコーチの皆さんに見習ってほしいですね。

    みなさんの近くにいる両親、先生、監督、親方、オーナー、⚪︎⚪︎長、先輩、上司、士業の方々などで、未だに威厳にしがみついている方はいませんか?

    そのような先生方に真正面から「時代遅れですよ」とはなかなか言えないでしょうし、言ったところで聞き入れてはもらえないでしょうから、難しいところですね。

    そのような方々が気付かずにカスタマーハラスメントとかやってしまいそうですね。

    自分に全く関係ない人であったら、ほっといても良いとは思いますが、自分と近い関係で一緒に食事などする機会があるようですと、食事の雰囲気とか一気に悪くなってしまいますからね。

    どうやって気づいてもらいましょう?

    師が店員に嫌味を言った後に「もし、私がバイトでお客さんにそんな事言われたらショックで止めちゃいますよ!」

    師が何か言う前に「この子は最近バイト始めたばっかりなんですかね?」とか「慣れない作業一生懸命頑張ってますね」とか、「自分がお酒を飲まないから注文間違えちゃったんですかね」などなど、店員さんの立場になって物事を先回りして言えると気づきを与えられるかも知れませんね。その中に軽いユーモアが入っていたら尚いいと思いますよ。(先生笑うと可愛いですね。などなど)

    師弟関係の場合、師が弟に対してコーチングをするのが一般的ですが、決してそれは絶対ではなく、弟の立場から師をコーチングすることも可能なのです。今回のお題のように。

    その時のポイントとしては、直球で論破するのは逆効果になってしまいますので、相手に気付きを与えられるような問いをしたいですね。相手がそのような考え方もあるんだ。って思ってくれたらラッキーくらいで、結果を意識し過ぎることなく軽い感じでジャブ打ってみて下さい。

    もっともっとコーチングが広まって、マイノリティ/弱者視点の考え方が理解されて、みんなが生きやすい世の中にしたいですね。

    いっしょにがんばりましょう。

    Have a nice your journey!

  • 判断

    攻めるか守るか?行くか待つか?言うか言うまいか?買うか買わないか?本能に従うか我慢するか?

    日々、迷いますよね?

    毎日、様々な判断を自ら下しているかと思います。自信を持って判断できていますか?

    >某国で起きた悲惨な沈没船事故。

    >某国で起きた飛行機事故の奇跡の生還。

    私は歴史学者ではありませんので、具体的な事象については言及は避けたいと思います。

    しかしながら、何となく上記2例のイメージは湧きますか?

    片方は悲劇の事故として世間からもバッシングされてしまうような死者を大勢出してしまった悲惨な事故です。一方、絶体絶命の状態から九死に一生を得たエピソードは美談として後世まで語り継がれます。

    結果は180度違いますが、それぞれの事象に携わった人、その時の判断を下した瞬間にそこまで大きな差があるのでしょうか?

    私には紙一重に思えますし、その表裏一体の判断を下したであろう当事者を責めようとは思いません。

    しかしながら、残酷なまでに結果は正反対なのです。

    目の前で問題が起きた時、主任→係長→課長→部長と常日頃から誰かしらの決済によって、判断していた人材。一方で上司の寛大な措置により日々、様々な判断を自ら行っている人。

    さぁ、有事の際、どちらの環境で育てられた人が瞬時に最適な判断を下せるでしょうか?

    船が沈没しそうになった際、リーダーである船長は客や乗組員を一刻も早く退避させ、自らは最後に船を降りるべきなのです。それがリーダーの責任なのです。

    残念なことに、普段から自らの責任で物事を判断をすることがなく、常に上にお伺いを立てているような人材は、有事の際に判断などできませんし、普段から責任を背負うことがないので、まごうことか自らが一目散に退避する行動を取ってしまうのです。

    私はそのような人を蔑みますが、責めようとは思いません。責めるべきはそのようなリーダーを育んだコーチです。

    普段から正論という名の暴力によって、本人の意思よりもべき論をかざすことにより、本人の考える力を無効化してしまっているのです。

    有事の際、何人もの上司の決裁を取っている暇はないのです。目の前の事象は刻一刻と変化しますし、状況を読んで最善の行動を取ることが求められるのです。

    有名な映画のセリフを拝借すなら、事件は会議室ではなく現場で起きているのです。

    現場にいる人間が正しい判断を下せるようなコーチングを提供したいですね。

    Have a nice your journey!

  • Pay It Forward

    皆さん、Pay It Forwardって言葉を聞いたことありますか?私が日本語に訳すなら「恩送り」という言葉を当てはめたいですかね。

    恐らくGive & Takeという言葉はよく聞くと思うんですよね。誰かに何かをしてもらったら、機会を見て恩を返す。即ち「持ちつ持たれつ」「ご恩と奉公」のイメージかと思います。

    別に悪い事だとは思いませんし、世の中のほとんどの事象がそうなっており、生活の営みの基本なのではないのでしょうか?

    それではPay It Forwardとはどういうことか?

    誰かに恩を与えたら見返りを貰うのではなく、その誰かはまた別の誰かに恩を与えるのです。するとまた別の誰かが、また別の誰かに恩を与えるという、次々に恩を与えるスパイラルを回すことがPay It Forwardです。

    昭和な例で申し訳ないのですが、

    漢気のある先輩が居酒屋で悩みを聞いてくれた挙句に飲み代まで奢ってくれました。最後に先輩が後輩に言う捨て台詞は決まって、「俺に礼は返さんでええ。その代わりお前もいつか後輩を大事にしたれ!」めっちゃシンプルですけど、格好良くないですか?

    私は今だにこの流れ好きですよ(笑

    みんな漢になったらいいんですよ(笑

    冗談はさておき、良いとか悪いとかではなく、見返りを求めるのが日常過ぎてみんな麻痺しているんですよね。

    >店員はお客様の要望に応えるべき

    >営業マンは顧客の好みを知るべし

    >先生は生徒の才能を開花させるべき

    >母親は美味しい料理を作るべき

    >父親は生活に困らないサラリーを稼ぐべき

    >長男は実家を継ぐべき

    >長女はお婿さんを探すべき

    見返りを求めているつもりはないでしょうか、マジョリティの考える「べき」が誰かを追い詰めてしまっているのです。

    料理が苦手な母親がいたっていいし、実家を飛び出す長男が居たとて世界は崩壊しないのです。

    Pay It Forwardを難しく考えないで下さい。

    もし、貴方の近くに

    >自分は長男やから家業を継ぐんよね?

    >自分は姉妹の長女やからお婿さん貰わんとね。

    周囲からしたら何気ない「べき」を求められれて自分の本心に蓋をしている人が近くにいたら「もし、何のしがらみもなかったらやってみたい事って何?」って聞いてあげるだけで、当事者にとっては世界が広がるのではないでしょうか?

    誰かに恩を送る。なんて難しいことは考えず、心の声を聞いてあげるだけでも立派なPay It Forwardになるのではないでしょうか?

    コーチたるものビジネスだけでなく、あらゆる機会の中でコーチングを広め、一人でも多くの人に活力を与えようではありませんか!

    Have a nice your journey!

  • 〇〇警察

    皆さんの周りにも〇〇警察はいらっしゃいますか?

    〇〇警察って言葉自体が市民権を得たのは比較的最近の気がしますが、昔から同様の事象はあった気がします。

    会社のお局様、姑、カミナリ親父、程度の差こそあれ他人に干渉したがる人は昔から存在した気がします。

    人の噂は75日とも言いますが、皆さん他人の噂は好きなようで。

    自分の価値観が正しいと思うから、価値観の違う人や事象に対して攻撃したくなるのでしょうか?

    相手が違う価値観を押し付けてきたのであれば、必死に抵抗するのは分かります。しかしながら、同じ価値観を持つ人間を集めてよってたかってマイノリティを悪者にする。みたいな風潮って小学生くらいから出てきたりしますよね。

    保育園や幼稚園に通う園児達は、体格の違いや言葉の発達度合いによって、パワーバランスの差は出て来ると思いますが、集団を形成してマイノリティをいじめるみたいな構図はないですよね?

    それがどうしたことか、小学生くらいになると急に同調圧力が働き出す気がします。

    知恵が付くから?承認欲求が生まれるから?防御反応が備わるから?

    私みたいな人間には知る由もありませんが、脳科学の先生方や幼児教育の専門家の方などがいらっしゃれば、科学的な根拠を教えて頂きたいですね。(是非、コメントをお願いします。)

    いずれにしましても、児童、学生くらいから自分と違う価値観を認識し、違う価値観に対してどちらかと言うと嫌悪感を抱く人が多いように思います。

    相手の価値観を受け入れる事ができず、さらには自分の価値観の正当性を誇示し押し付けようとするから争いが起きる訳で、、、

    警察は法律に則り違反者を取り締まる権限を与えられているので、職務を全うして頂きたいですが、法律でも何でもない自らの価値観を他人に押し付ける人々をどうにか出来ませんかね?

    つまりは聞く耳を持たない人、自らの価値観に異常なまでの信念を持つ人に対して、どうやってコーチングしましょうか?

    先ずは、敵じゃありませんよ。(積極的に味方になるつもりもないでしょうが(笑))ってメッセージを伝える必要がありそうですね。

    その後、その強い信念についてご教授願いましょうか。

    ここで相手を論破するための、論理的破綻を探すのではなく、先ずは素の状態で受け入れたいですね。

    相手の価値観を認め、受け入れるという所作のお手本を見せましょうか。

    人がどのような思想を持つのも自由ですし(人に危害を与えなければ)私はあなたの価値観を受け入れました。という事実を相手にも認識してもらいたいですね。

    ここで急に要求を伝えても、せっかく芽生えた信頼の芽が枯れてしまいそうです。

    しばらくは様子見で、信頼の芽を育てましょう。

    花が咲くまでは待てないですが、立派な若葉が育った辺りでこちら側の価値観を伝えてはいかがでしょう。

    コーチングに焦りは禁物です。

    じっくり育てようではありませんか。

    Have a nice your journey!

  • 夢を語れ

    あなたの夢は何ですか?

    と問われて、即座に回答できる人ってどのくらいいるでしょうね?

    私ですか?

    私は強欲なので、なんぼでもありますよ(笑

    ただ、その夢を誰にでも語れるか?と言われると答えに窮しますけどね(汗

    恥ずかしいのもありますが、倫理的にとか、世間体的にとか色んな理由はあるのですが、実際尻込みする自分もいます。

    >計算が苦手な弟が医者になりたい!って言ったら真剣にコーチングできますか?

    >視力の悪い甥っ子がパイロットになりたい。って言ったら心から応援できますか?

    >ずんぐりむっくりな姪っ子がアイドルになりたい。って言ったら本気で支援できますか?

    決して強がりではなく、AIを駆使したら計算なんてコンピューターに任せたらいいですし、センサーやカメラがもっと発達すれば人の視力より正確性が増すと思いますし、ふくよかな娘がアイドルになることで親近感を抱くファンや自信を持てる人が居ると思うんですよね。

    お前には無理だ!ってレッテルを貼るのではなく、どうしたら一歩でもその夢に近づくのか?を考えれるのが優秀なコーチではないでしょうか?

    否定するのは簡単なんですよ。否定した時点でそれ以上考えなくて良いので。

    でも、可能性が0でない限り、コーチィの可能性を信じて寄り添い次から次へと気づきを与えられるのが本当のコーチだと思います。

    でも悲しい事に世の中は夢を語った瞬間に、

    >お前は努力してるのか?

    >世の中甘く見てる。

    >絶対に出来っこない。

    >お前より適任は大勢いる。

    >そんな覚悟じゃ無理だ。

    などなど、世の中には出来ない理由を並べたがる輩がどれほど多いことか(涙

    少しでも社会的な倫理に楯突く意見を述べようものなら

    >親の顔が見てみたい!

    >子供に言えるのか?

    >そんな非常識が通じると思っているのか?

    >法治国家のルールを知らないのか

    >あいつはヤバい奴だ!

    と社会適合性を否定される訳で、、、

    村八分って分かりますか?

    情報量が限られていた大昔は、君主や知識人と違う意見を言ったら、組織から排除される訳ですよ。

    語弊を恐れずに言うならば、その時代の名残が現在にも蔓延っており、人と違う意見(マイノリティ)を持った人間を排除しようとする同調圧力が残念ながら現在も残っているように思います。自由に自分の意見を表現できるマイノリティはマジョリティからすると目の上のたんこぶにもなり得る訳で、、、

    誰かが何かを言ったところで、その言動に対する責任は当人にしか掛からないのですよ。

    それを責任の伴わない周囲があれこれ言う権利はないと思うんですよね。

    でも、残念な事に自分の倫理観をかざして他者を責める輩が多いこの世の中。周囲を見渡せは〇〇警察ばかりではありませんか(涙

    そんな環境で自由に自分の夢なんて語れないですよね(涙

    コーチの皆さん。正しいコーチングと多様性を広めて、突拍子もない馬鹿馬鹿しい夢を気兼ねなく語れる世の中にしようじゃありませんか!

    いっしょにがんばりましょう!

    Have a nice your journey!