師弟関係のはっきりした、先生と生徒、監督と選手、親と子といった関係性をもった間柄で、師と呼ばれる立場の人々は弟が思い通りに成長した。又は成功した。と感じるのはどの程度の確率でしょうか?
その成長曲線は思い通りのカーブを描いたでしょうか?
かけた労力と結果は納得の行くものでしょうか?
なかなか思い通りになんて事は運ばないですよね。思い通りに相手の成長が見られない時、あなたならどうしますか?
何度も自分の意思を伝える?
コーチィのできない所を細かく伝える?
教え方を変える?
プレッシャーを与えて恐怖政治に切り替える?
理詰めで相手を追い詰める?
たまに居ますよね。1を伝えたら10できる子って。それってコーチの能力ではなく、コーチに出会う前の段階で考える能力を伸ばしてくれたコーチに出会っていたのでしょうね。
ほとんどのコーチィは1伝えたらできるようになるのはせいぜい0.5くらいでしょうか。
それなのに世の中のコーチはコーチィに10を求めるのです。そりゃーGapが広がる一方で、お互いの間に信頼関係なんて生まれるわけありませんよね。
本当に10必要ですか?努力したら10に届く子もいるかも知れませんが、どんなに努力しても5が限界の子だっていると思うんですよね。
画一的な指導方法で、全員のゴールを同じところに設定する時点で無理があるような気がしませんか?私には無駄な同調圧力を生むカリキュラムにしか見えないのです。
個性が無視された中で白か黒、YesかNo、出来るか出来ないか。常に0か100の選択を迫られているのです。個人的にはグレーがもっとあっても良い気がするんですよね。
組織の中にあってコーチの要求に応えられる可能性を持ったごく一握りが市民権を得ており、それ以外の大多数は劣等感に苛まれるのです。
コーチとコーチィの目指す方向が一致しなければ、効率的なコーチングは不可能だと思っています。
それでは目指す方向を合わせるためにはどうしたら良いのでしょう?
コーチがコーチィに寄り添って、コーチィの目指す方向を一緒に確認しましょう。ある子の目指すところは3、別の子は5、さらに別の子は7を目指す。私はそれが自然だと思いますし、個に合わせたコーチングとは本来そのような常態を表すのではないでしょうか。
組織として考えるのであれば、7できる子のできない3をできる子がいれば、2人で必要な能力は補えるようになると思いますし、個性が生きた状態ではないでしょうか。
コーチとコーチィそれぞれの目指す方向が同じであれば、お互いが感じるストレスも減るでしょし、信頼関係を構築する環境も整うのではないでしょうか。
親子ですら、相手が予想通り、こちらが思う通りに行動することは稀かと思います。血の通わない師弟関係であれば尚更のこと意思疎通が難しいのではないでしょうか。
他人は変えられません。もし、関係を改善したいのであれば自らが変わらなければないのでしょう。相手に歩み寄ってゴールを確認しましょう。目指すところがグレーだとして何か問題はありますか?
それはたとえ親子でもそうなのです。相手には意思があり目指す方向があります。コーチィに寄り添い共に歩もうではありませんか。
Have a nice your journey!