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    残念ながら、どれだけ理想論を述べようとも、世の中に貢献して対価を得るのではなく、最小限の労力で人から資産を搾取しようとする人間は一定数存在します。

    日々の暮らしの中でも、

    >他人より少しでも先に目的地に辿り着きたい。

    >他人よりも新鮮で美味しい生鮮食品を選びたい。

    >他人より少しでも早く多くのサービスを受けたい。

    >他人より少しでも価値のあるものを選びたい。

    >他人よりも得をしたい。

    誰もが似たような事を一度は思い描いたことはあるのではないでしょうか?

    恐らくですが、過去、何かしらの状況でラッキーだった、得をした。という経験があるから上記のような欲が生まれるのではないでしょうか?

    何の野心や先入観を持たず、結果として得をしたならば、純粋に喜べるかと思います。

    例えばですが、払った額に対して得た対価が同等だった場合±0だとしましょう。

    イワシを1匹の値段が100円だったとして、

    お魚屋さんで、イワシ5匹を注文したところ、在庫が残り6匹だから500円で6匹持って行っていいよ。というサービスを受けたら嬉しいですよね。

    その時の感情としては+10くらいでしょうか?

    一方で、いつもサービスしてくれる八百屋さんがあったとします。今日は何をサービスしてくれるかな?という思いを抱きながら買い物をしたとして、何もサービスを受けられなかったとします。するとどうでしょう?対価としては±0なのに、心情としてはマイナス側に振れると思いませんか?

    予め、得をした状態、考えられる最高の状態を予想してしまうと、本来得るべき対価では満足しない状況に陥ってしまうのです。

    誰かが得をするということは、一般的には誰かが損をしている訳です。

    イワシの話に戻りますと、1kgいくらで仕入れているかは分かりませんが、魚屋さんの利益を僅かですが搾取していますし、

    >同じ時間に出発して到着時間に差ができるということは誰かが時間を搾取されているのです。(強引に車線変更する車がいれば、最後尾の車は信号に捕まる可能性が上がるのです)

    >ホテルでも飛行機でもフリーアップグレードを受けた場合、運営側の利益を搾取していますし、

    決して違法ではありませんが、誰かが得をすれば誰かが損をしているのが世の常かと思います。

    世の中の大多数は与え与えられる人かと思います。ですが、残念な事にある一定数は、自分さえ良ければ自分さえ得すれば。という考えを持った層が存在します。そのような層の人たちは徳など積めませんよね。反対に僅かですが無意識のうちに与えることを喜びに変換できる層も存在します。そのような人には徳が集まると思いませんか?

    聖人君子になれとは言いませんが、みんなが少しだけ人に与える割合が増えると、もっともっと住みやすい世界になると思うのは私だけでしょうか?

    いっしょにがんばりましょう。

    Have a nice your journey!