最近、器の大きな人って減ったと思いません?
俺が責任持つから、思った通りにやっていいよ!
見なかったことにするから、好きにやって!
昔は頑固親父だったり雷親父だったり、合理性よりも本能や情に厚い人が一定数居たように思うんですよね。
しかしながら、整合性、正論、理想論などごもっともなご意見が主流となり、ルールを破って失敗しようものなら全方位からバッシングされる訳で、、、
殺戮が起きている世界情勢や、物価の高騰を含む経済情勢よりも、残念ながら著名人の不倫の方が興味が高いらしいです、、、
そりゃ〜リスクを冒してまで火中の栗を拾おうとする輩などいなくなりますよね。
チャレンジして失敗してバッシングされるなら、大人しく背景、風景の一部となって事をやり過ごした方が、賢明な判断となりますよね。
でも本当に世の中は正論ばかりで成り立つのでしょうか?
合理性よりもその時の感情、例えば綺麗、美しい、没頭する。説明できないけど心地良い。みたいな本来、人間が持っている感情であったりフィーリングをもっと大事にした方が人生楽しいと思いません?
例えばですよ、
>塩分摂取量が過多になるからラーメンは食べない。
>太るから炭水化物は取らない。
>生活習慣病が怖いから脂質は摂らない。
逆にストイック過ぎて、
>たんぱく質を多く摂りたいから鶏肉は胸肉のみ
>遺伝子組み換えに技術に信頼ができないから大豆は食べない
>野菜は全てオーガニック
などなど、そりゃ〜身体に良いでしょうが、続きますか?緩い時間があっても良いとは思いませんか?
何事にも合理性を求め、自分の選択した行動に自分以外からの同調を得る。可能ならばエビデンスを入手し自分の行動に第三者からのお墨付きを得る。
本当に必要ですか?
他人からの評判であったり、世の中の正解を踏襲するのではなく、単純に自分が好きだ!楽しい!って本能に従って行動することがもっと称賛されて当たり前になって欲しいと思いませんか?
>管轄が違いますので、、、
>それらの備品については前任者が勝手に実施したもので、、、
>前例がないもので対処し兼ねます。
怒られるから冒険しないのですかね?それとも失敗する事に対して尋常じゃない恐怖を覚えてしまうのでしょうか?
思ったより根が深く、なかなか現状を変える程のエネルギーを費やすのには時間が足りなそうです。
誰だって失敗なんてしたくないんですよ!
ですけれども失敗を科学し検証することで、失敗から多くの学びを得ることで、弱者へのサポートであったり、今まで気づかなかった新たな自分の可能性へのチャレンジであったり、可能性や視野が大幅に増えるのではないのでしょうか?
誰かがリスクを取って前進しなければ、新たな境地には辿り着けないのです。又はチームを導くことはできないのです。
上司たるもの、目の前の事象に一喜一憂せず、客観性を維持しながら成長を見届けたいものですよね。
器の大きさを見せようではありませんか!
Have a nice your journey!