皆さんの夢は何ですか?
私の夢は好きなこと、本音を語れる世の中を作りたいですね。
皆さんは本音を語れる人が近くに居ますか。
私には学生時代からの友人が1名と社会人になってから知り合った波長の合うコミュ力おばけの合計2名が存在します。
誰もが大なり小なり経験があると思うんですけど、夢が音を立てて崩れていく瞬間ほど残酷なことって無いと思うんですよね。
かれこれ数十年前、小学校の時の記憶です。クラス内の数人で将来の夢というか就きたい職業の話になったんですよね。1人の男の子が将来の夢を「医者になりたい」って言ったんですよね。私は単純に凄いな。って思ったんですよ。俺なんて具体的なものが何もなくて、漠然とサラリーマンは嫌だな。って思ったくらいで。
すると周囲のクラスメイトが、「お前は無理だ」「できっこない」挙げ句の果ては「すけべな奴だ」って言い出す人間もいて、医者って発言した当人の顔がみるみる引き攣って、「そんなの嘘に決まってんじゃん」って言ったのを覚えています。
その彼は現在医療とは全く関係のない職業に就いています。
小学生時代のその経験が医者という夢を諦めさせたのか、私には知る由もありませんが、一人の人間が持つ可能性を言葉の暴力によって閉ざされてしまったと思うんですよね。
どうしてこんなにもこの国の人間は他人に対して寛大ではないのでしょうか?
人と比較をされながら育てられたからでしょうか?
Teachingの教育を受けてきたからでしょうか?
多様性についての認識、教育が不足しているからでしょうか?
島国で他国の文化を受け入れ難い環境だからでしょうか?
身近な存在が他者の文句ばかりを言っているからでしょうか?
どれも一理あるな。って思うかも知れませんが決定打にはならなそうですね(汗
前にも言いましたが、私にエビデンスはないですよ。そんな私が思うには【考える力】が足りてないんだと思うんですよね。つまり自分で考える能力の欠如です。
最初のコーチは親だって話を最初にしましたが、親の次に会うコーチは先生だと思うんですよね。先生の次に出会うコーチは上司とか先輩でしょうか。
自分が成長して出会うコーチたちみんな、自らの正解に導くコーチだったらどうなります?皆さん(コーチィ)の興味があるもの、クリエイティブな発想からでた解は全て否定され、コーチが過去の経験で得た一番無難な解に導く主観しか持ち得ないコーチだったとしたら、、、自分の意見が否定され続けたら、誰だって自らの考え、アイデンティティに自信など持てず、気がつけば無意識にコーチの中の解を探す、考えることを止めた個人になると思いませんか?
コーチィとすれば、異論を唱えて周囲を納得させる労力よりも、多数決で良しとされる解を選択することで、無駄な労力を使わずともコンフォートゾーンに居れるわけです。
無意識のうちにコンフォートゾーンに留まる人間から見ると、コンフォートゾーンから外れた意見を自由に操る人間を疎ましく思うのでしょうか?自分が選択して留まっている場所を正当化するためにゾーン外の意見や個人に対して攻撃してしまいたくなるんですかね?
裏を返すとコーチの立場からしても、自分の想像の範疇からはみ出た意見は自分の存在意義を否定されているようで、とてもではないが容認出来ないのでしょうか。
立場はコーチなのですが、考え方がTeachingなんですよね。自分が教えてあげてる。って思考回路にある限り自らの考えに賛同する人間ばかりを優遇し囲う作業を繰り返しているように思います。結果として不幸にも考えることを止めた人たちがコンフォートゾーンを作り上げてしまっているのですかね。
コーチはコーチィを目的地まで送り届ける役目である。というCoachingの基本理念が広がれば、自由に自分の意見を発信し、自信を持って自分の夢を語れるようになると思いませんか?
つまりはお互いを尊重し合える多様性のある世界が形成されるのではないでしょうか。
このブログに訪れて下さる皆様は、少なからずともCoachingに興味のある方々かと思います。
一人でも多くの方にCoachingの理念が伝わるよう一緒に発信を続けましょう。
それではまたお会いしましょう。
Have a nice your journey!
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