容姿とは:目、鼻、口などの配置、身長、体重、骨格、体型など顔立ちや身体付きのこと。
周期的に過度な容姿への執着が社会問題となっているように思います。しかも残念なことに若年齢化が顕著になっていますよね。
性的興味が出てくるのは小学校高学年くらいからでしょうか?
例)放課後の教室で
Aさん:⚪︎⚪︎君って格好良いよね!
Bさん:うそ〜何で?△△君の方が良くない?
Cさん:Aってさ趣味悪くない?
誰も悪くないし、誰も悪気があって言葉を選んではないと思うんですよ。
Aさんが自分がマイノリティになることに対して何の抵抗もない性格だったら、
>この二人とは男の子の趣味は合わないみたい
>競争率が下がってラッキー
くらいに物事をポジティブに捉えられると思いますが、一方でマイノリティに対して理解が乏しく敏感であるならば、
>私っておかしいのかしら?
>⚪︎⚪︎君を格好いいって言っちゃいけないんだ!
って、全く違う解釈になる危険を孕んでいるような気がしてなりません。
同調圧力が強く、みんなと一緒がいい。という価値観が育ち過ぎる社会は健全なのでしょうか?
ひょっとすると高身長だけれども、低身長で可愛らしい容姿に憧れる人もいるでしょうし、逆に低身長の人は高身長の格好良さに憧れるかも知れません。
痩せ型の人はがっちりとした体格に憧れることもあるでしょうし、ガタイの良い人はスリムな人に羨望の眼差しを向けるかも知れません。
しかしながらいくら憧れを抱いたとて、身長、骨格などは、努力してもどうにもならない要素の気がします。
努力しても結果が変わらないことに嘆き、悲観するよりも、自分の持って生まれ持った良さを認識し、自分の長所を磨くことに労力を使った方が良いと思うのは私だけでしょうか?
Lookismって評価軸が他人なんですよね。自分がこうしたい。こうあるべきだ。という主義よりも他人から評価される容姿や印象が強くなってしまっている気がします。
採用面接などで、面接官と選考者の間に会話などのコミュニケーションが全く存在しないのであれば、ひょっとすると容姿が結果に及ぼす影響は大きくなるかも知れません。
しかしながら、通常の選考であれば、学力、語学力、文章能力、論理的思考力、表情の豊かさ、所作、言葉遣いなどなど、容姿以外でも勝負できる武器はいくでも考えられるのではないでしょうか。
識者の先生方には怒られるかも知れませんが、前回に引き続き教育システムの話をさせて頂くのであれば、日本はずっと減点方式の評価システムが採用されています。人と違ったことをやったら怒られるシステムなんですよ。自ずと長所を伸ばす教育ではなく、短所を指摘し短所を改めようとする教育が当たり前となっています。結果、目立つことなくマジョリティを演じることが一番コスパよく学生時代を過ごせるのです。
そのような教育を受けた人材が、社会人となり急に殻を破るか?と言ったらそんなことはなく、その他大勢の一員として社会を形成していく訳です。
痩せている方が良い。という声がマジョリティならばそれが唯一の正解だと信じてそこを目指す若者が増え、ふくよかな方が好みだ。という意見は淘汰され不正解の烙印を押されてしまうのです。
健康の範囲内ならば別に痩せることに対して否定はしません。しかしながら痩せる理由が、みんなが求めているから。ではなく⚪︎⚪︎を達成するために必要だから痩せる。という主体性は欲しいですよね。
食べることが大好きでふくよかな女の子も、運動が苦手で色白の男の子も、ハーフパンツを履きたいおじさんも、ミニスカート好きなおばさんも、周囲の評価を気にせず自分のアイデンティティを主張できる世の中が訪れると良いですね!
Lookism→自分の力でどうにもならない評価に怯え結果に繋がらない努力をするよりも、自分が影響を及ぼせる範囲の中で労力を使いたいですね。
さぁ、がんばってコーチングして行きましょう。
Have a nice your journey!