数少ない投稿の中ですが、自分軸、他人軸というワードには何回か触れた気がします。
>良い子でいたい
>周囲から称賛される親でいたい
>先生に褒められたい
>上司に認知される人材でいたい
>後輩から尊敬されたい
>周囲に認められたい
これらは全て自分がどうしたいか?ではなく周囲からどう見られたいか?どのように評価されたいか?という自分ではコントロールできない結果を追い求める感情ではないでしょうか。
一方で
>自分は⚪︎⚪︎になりたい。
>自分は⚪︎⚪︎したい
>興味があることを極めたい
>自分の長所を組織で発揮したい
>部下や後輩に自らの技術を伝承したい
といった感情や行動は、周囲からの評価ではなく、自らの内省によって導き出された感情かと思います。
どちらが精神衛生上、自分自身に前向きな感情をもたらすか?というと後者かと思います。
自らを鼓舞し、自らを前に推し進める力の源は内省であることは疑いの余地はないかと思います。
しかしながら自らの内省に従って行動しようとも、活動を営む上で他人との接触は決して避けられるものではなく、価値観の違いを目の当たりにする機会は多々あるかと思います。
動物は敵と対峙した際、戦うか逃げるか?のどちらかを瞬時に判断し行動に移しています。
一方で人間には選択肢があり、状況に応じて何が最適か?を考える能力が備わっているかと思います。
お互いが自分の価値観こそが正解だ。というコミュニケーションを取ろうとするから争いが起こるわけで。自分の価値観はこうだけれども、そのような価値観もあるよね。と相手の価値観を認める(決して自らが倣うわけではなく)ことで、お互いの価値観を共存させる事ができるのではないでしょうか?
例えばですが、好意を抱く人の気を惹こうとした場合、自らの主張よりも、相手が何を考えているか?どうしたら相手が喜ぶか?を主に考えると思うんですよね。
つまり、自らの内省に従って行動する事が推進力を生む一方で、相手に寄り添う事で、得られる世界もあるのです。
決して一つの軸に執着する事なく、時と場合によって最適な軸を用いることで、無駄な争いを生むことなく環境に順応できるのではないでしょうか?
軸とは自らのアイデンティティを示すものかと思いますが、白か黒か?勝つか負けるか?といった感情に固執するとお互いの精神衛生上良くはないですよね。
多様性を重んじる世の中にしたいですよね。
取り留めのない話題に付き合っていただき、本当にありがとうございます(汗
Have a nice your journey!
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