組織に属すると大きく分類して、運営する側と運営される側に別れますよね。
好き嫌い、良し悪しに関わらず、パワーバランスとしては運営する側が強者で、運営される側が弱者かと思います。
組織の方向性や、さまざまな物事の決定権、マジョリティとして組織内の文化や常識を形成するのが強者かと思います。
多少、誇張した表現になりますが、一方でマイノリティに分類される側の人間は、組織内でなるべく目立たず、自分の呼吸/意思を押し殺しながら、波風を立てる事なく日々潜むような一面もあるように思います。
一方で強者と分類される側の人種は、自らがマジョリティに分類されていると認識している限り、自分の思想や発言、振る舞いに至るまで、自ら発信する情報は全てが正しいと思い込み、挙句、周囲に同調を求めます。
悪気はなく無意識のうちに他人と同じ意見、同じ振る舞い、同じ格好である事を強要してしまったりもします。いつの間にか自らの低過ぎる自己認識や、強過ぎる自己顕示欲に支配されてしまい、物事を俯瞰して見ることができなくなってしまうのでは無いでしょうか。
マイノリティ、マジョリティ、どっちが正解という話ではなく、一般的にマジョリティが市民権を得やすい傾向にあるとは思います。しかしながらマジョリティが全権を持っていい。というわけではなくマイノリティの意見も同じ一つの意見として、組織の中で尊重され対等に議論される世の中が健全なのではないでしょうか。
コーチたるもの長い物に巻かれる事なく、客観性をもちコーチィの内省に寄り添いたいですね。
それがマイノリティであればあるほど、やりがいがあると思いませんか。
上辺だけでなく本当の意味で多様性のある世界を築こうではありませんか!
Have a nice your journey!
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