判断

攻めるか守るか?行くか待つか?言うか言うまいか?買うか買わないか?本能に従うか我慢するか?

日々、迷いますよね?

毎日、様々な判断を自ら下しているかと思います。自信を持って判断できていますか?

>某国で起きた悲惨な沈没船事故。

>某国で起きた飛行機事故の奇跡の生還。

私は歴史学者ではありませんので、具体的な事象については言及は避けたいと思います。

しかしながら、何となく上記2例のイメージは湧きますか?

片方は悲劇の事故として世間からもバッシングされてしまうような死者を大勢出してしまった悲惨な事故です。一方、絶体絶命の状態から九死に一生を得たエピソードは美談として後世まで語り継がれます。

結果は180度違いますが、それぞれの事象に携わった人、その時の判断を下した瞬間にそこまで大きな差があるのでしょうか?

私には紙一重に思えますし、その表裏一体の判断を下したであろう当事者を責めようとは思いません。

しかしながら、残酷なまでに結果は正反対なのです。

目の前で問題が起きた時、主任→係長→課長→部長と常日頃から誰かしらの決済によって、判断していた人材。一方で上司の寛大な措置により日々、様々な判断を自ら行っている人。

さぁ、有事の際、どちらの環境で育てられた人が瞬時に最適な判断を下せるでしょうか?

船が沈没しそうになった際、リーダーである船長は客や乗組員を一刻も早く退避させ、自らは最後に船を降りるべきなのです。それがリーダーの責任なのです。

残念なことに、普段から自らの責任で物事を判断をすることがなく、常に上にお伺いを立てているような人材は、有事の際に判断などできませんし、普段から責任を背負うことがないので、まごうことか自らが一目散に退避する行動を取ってしまうのです。

私はそのような人を蔑みますが、責めようとは思いません。責めるべきはそのようなリーダーを育んだコーチです。

普段から正論という名の暴力によって、本人の意思よりもべき論をかざすことにより、本人の考える力を無効化してしまっているのです。

有事の際、何人もの上司の決裁を取っている暇はないのです。目の前の事象は刻一刻と変化しますし、状況を読んで最善の行動を取ることが求められるのです。

有名な映画のセリフを拝借すなら、事件は会議室ではなく現場で起きているのです。

現場にいる人間が正しい判断を下せるようなコーチングを提供したいですね。

Have a nice your journey!

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