正論

ごもっともです。そのためにルールがあるのですから、、、

交通ルールを守って制限速度で車両を運転する貴方は正しいです。

ルールを破ってショートカットすることで、何かしらのリスクが上がることは承知しています。

むしろ何かしらの失敗があったからこそ、ルールができた訳で、、、

例えば早朝5:00に急に意識を失った我が子を車に乗せて病院へ向かう途中、幹線道路に合流する信号が赤でした。一刻も早く病院に行きたい父親が周囲の安全を確認して信号無視をしたとします。

貴方はルールを破った父親を責めますか?

それともルールよりも事情と環境を鑑みて、自分が最善だと思う行動を取った父親を称賛しますか?

恐らくですが、我が子を病院に送り届けて子供の命を救った父親は称賛され、万が一事故を起こしたりして病院への到着が遅れ我が子の命を危険に晒した場合、周囲から糾弾される訳です。

我が子を守りたい。という目的は一緒なのですが、その時取った行動と結果により、周囲からの評価は180度変わってしまいます。

時間と環境が許すなら、信頼できるコーチや周囲に合意をとってから方策を決めたら良いのです。しかしながら、現場に集う当事者同士の中で最善の選択を迫られることの方が多いのではないでしょうか。

貴方は何を拠り所として判断を下しますか?

信号を守れば不慮の事故は防げるかも知れないが、当事者の命を危険に晒すことにならないだろうか?

一方で信号を守らないリスクはあるが、子供を最短で病院に送り届けることが可能かも知れない。

大なり小なり、様々な可能性を天秤にかけた中で皆さんは判断を下しているのだと思います。

>自転車の乗車時にヘルメットを着用するか否か。

>自家用車の運転中、制限速度を守るか否か。

>出された宿題を期限内に完了すべきか否か。

>処方された薬を定められた方法、頻度で服用するか。

>門限を守るか否か。

>自分で決めたダイエットメニューをこなすか否か。

法律と呼ばれるそのコミュニティに属する者たちが守ることを前提としたものから、組織が努力義務として定めたもの。法的義務は全くないが自ら派生したものなど、世の中には様々なルールが存在するかと思います。

他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい。

などと極論を言うつもりはありませんが、

>筆は右手で持ちなさい

>お味噌汁は右に置きなさい

>帰って来たら宿題を先にやりなさい

>ゲームは1日1時間以内にしなさい

>先輩の言うことはちゃんと聞きなさい

>上司に意見してはいけません

>自分の考えよりも伝統を重視しなさい

などなど、科学的エビデンスを持たない当たり前を押し付けられる状況も世の中には存在する訳で、、、

ルールを守ることで、自分は正しいことをしている。自分は周囲の期待に応えている。というような安心感が生まれるかと思います。

そのような状況下で、ルールを守らない他人を見かけたら、何で?という疑問を持つのは当たり前かも知れません。

ルールを守らない他人に対して嫌悪感を持つということは、ひょっとしたらルールを守っている自分を正しいと思う一方で、窮屈な思いを抱いているのかも知れません。そんな本心に従わない行動をしている自分を棚に上げ、自由に振る舞う他人が羨ましいから疎ましく思う気持ちが生まれてしまうのではないでしょうか?

ルールを守ることで最良の結果を得られる。と信じているか、若しくは自由に振る舞っているのが許せないのか?自らの価値観で自らの行動に責任を持つなら構いませんが、自らの価値観を他人に強要すると関係がこじれてしまいますよね。

貴方がコーチだとして、世の中に存在するルールを守ることについて100%コーチィに求めますか?

いくら相手のためだと思っても、ストレスを与えてしまうことにはならないでしょうか?

積極的にルールを破れ。と言うつもりは毛頭ありません。しかしながら何もかもルールやしきたりにがんじがらめにされると、新しいアイデアなど到底浮かびませんし、非常に窮屈で個性が奪われる気がします。

たまには正論だけでなく、人間らしさ弱さを見せて共感することで信頼が生まれることもあるのではないでしょうか?

繰り返しますが、積極的にルールを破って反社的な行動を推奨している訳ではありません。

飴と鞭ではありませんが、たまに許される癒しがあった方が営みにハリが出ませんか?

という弱いコーチの小言でした。

Have a nice your journey!

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