思いやり

自分を責め過ぎない自己肯定感はすごく大事ですし、自分の軸で物事を判断することの重要性をこのブログで説きました。

しかしながら、他者との営みの中で自分勝手に振る舞っていい。と言う話ではないんですよね。

自分の好きなことと他人の好きなことは違いますしね。好きな食べ物、嫌いな食べ物、心に響く映画の種類、心躍らせる経験、ときめく瞬間、歩くスピード、食事の嗜み方などなど、例え家族であっても全く一緒と言うことはあり得ないことかと思います。

その違いを認識し、状況に合わせて相手のペースに合わせる器って備えたいですよね。

恋人や家族、組織の仲間といった身近な存在であればできる人は多いかも知れません。ですが究極はライバルに対しても塩を送るのではなく、リスペクトが欲しいですよね。

1分1秒を争うライバルだとしても、相手が最高のパフォーマンスを発揮した中で上回るのが最高の結果だと思います。

例えばですが、マラソンの国際大会で、給水を失敗してスペシャルドリンクを取り逃がした選手に対して、並走するライバルが自分のドリンクを渡してあげる。甲子園で炎天下の中、足を攣ってしまった相手選手に手当を施す。極論を言えば生きるか死ぬかの瀬戸際で、食料を分け与える。水を差し出す、酸素を提供する。などなど、損得ではなく、本能的に相手に手を差し伸べることができる人って尊いですよね。

もし、あなたが人生を共にする伴侶を選択する岐路にいるとして、この人と一緒になった後、仮に砂漠に二人だけが取り残された状況に陥ったとして、「水を分け与えられる関係か?」「自分は拒んで相手に水を託すか?」「この人は笑顔で水をくれるだろうなって想像できるか」それとも「力に任せて水を奪われてしまうんだろうな」って思ってしまうか。

それぞれの関係性であったり、気持ちの持ちようだったり、様々なバックグラウンドによって最適な解は変わって来るかと思います。

コーチとして何が最適か?

答えはないですね(汗

解はコーチィの中にあるのですから!

相手に尽くしたい人もいれば、尽くされたい人も居ますし、運命共同体として苦楽を共にしたい。って思う人もいると思うんですよね。

コーチとしてはコーチィの内省に働きかけて、コーチィはどのように行動するのが最適なのか?寄り添うのが役目ですよね。

その過程の中で、自分と相手の違い、相手が何を求めているのか?多様性を育みながら思いやりという観点も取り入れたいですね!

お前はどうかって?

もし、自分の欲よりも大事な人が身近にいるならば、その人の笑顔を見たいですし、どうすれば笑顔が溢れる日常を送れるか?相手の笑顔を作り出すこと=自分軸って拡大解釈しますかね(笑

だってその笑顔=生きる原動力じゃないですか(笑

究極の思いやりって、結局は無償の愛ではないでしょうか。

世の中、全ての事象に対してに白黒は付けられませんし、ロジックが破綻することもあっていいと思うんですよね。

それが人間らしさではないでしょうか。

Have a nice your journey!

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