皆さんは歳を重ねることに就いてどのようなイメージを持っていますか?
>経験が増す?
>成熟する?
>考え方に柔軟性がなくなる?
>物覚えが悪くなる?
>体力が衰える?
>肌艶が衰える?
>品が備わる?
>社会的地位が増す?
>融通が効かなくなる?
皆さんの周りにはどのような大人がいますか?
世の中、周囲、環境に対して不満を抱え、ネガティブな言動や発想が多い人。一方で興味を失わず環境や変化を受け入れながらも新しいことにチャレンジして人生を謳歌している人。
どちらの大人が多いでしょう?
皆さんはどちらになりたいですか?
どこで違いが生まれるのでしょうか?
例えばですが、公共交通機関が悪天候によって遅延が発生してしまい、大事な約束に間に合いませんでした。
あなたはどのように状況を受け入れますか?
>遅延した公共交通機関が悪い?
>悪天候はコントロールできないから仕方ない?
>予め天気を調べなかった自分を責める?
>最悪を想定して行動できなかった自分を責める?
>バックアッププランを用意できなかった自分を反省する?
そうです。当事者意識があるか否かが思考の癖に大きな影響を及ぼすと思いませんか?
どちらが成長や成功、運を引き寄せるか?と言えば自らの行動を俯瞰して物事を客観的に振り返れる能力を持った後者かと思います。
では、責任を転嫁する思考と、自分事として物事を捉えられる思考はどのようにして形成されてきたのでしょうか?
以下、あくまでも主観になりますが、幼少期から
例)
>季節外れの寒さが訪れた日、「今日は寒いから上着を持って行きなさい。」
>遠足の前日、「〇〇は持った?」「〇〇はどうなってる?」「〇〇は準備できたの?」
>小さな壁にぶつかった時、「〇〇ちゃんはこうだから〇〇しようね」
どうですか?心当たりありませんか?
大人(コーチ)が自らの経験値を元に将来起こりえる困難を予測して、問題の芽を摘んでいるのは分かりますか?
一方で、
>ナイフとフォークなど使ったことも無いのに、親のいない環境で洋風レストランに行って恥ずかしい思いをする。
>スキー経験のない親を持つ子供が、ウィンドブレーカーでスキーに行く。
>大好きな異性に勇気を出して告白してフラれた経験。
そう、頼れる大人がその場におらず、自らの責任で状況を受け入れ、言うなれば失敗を経験しているのです。
誰かが言いましたが、死ぬ事以外はかすり傷なんです。
その時は、恥ずかしい思いもするし、自分の不甲斐なさにやるせない想いを馳せるかと思います。
しかしながら語弊を恐れずに言うならば、幼少期にどれだけ恥ずかしい想いをしたか?どれだけ失敗を乗り越えたか?どれだけ自らの責任で物事を判断したか?が思考回路の形成に大きな影響を及ぼす気がします。
経験値の高い大人が先回りして、安全で障害のない道を歩ませるのが正解なのでしょうか?
様々な失敗を経て、自ら起き上がる強さを身に付ける事が将来役に立つでしょうか?
物事を短期的視野で考えた場合、失敗しない方が結果は伴います。しかしながら長期的視野で考えた場合、自ら考えて行動できる主体性を育むのは後者かと思います。
勘違いしてほしくないのですが、失敗を肯定しているわけではないのです。時と場合によって。例えばですが、失敗したら怪我をするとか命に危険が及ぶ場合、絶対に短期的視野を優先して守らなければなりません。
本日の結びとしましては、失敗に対する免疫がある人の方が、様々なことにチャレンジする気概を持っているような気がします。
自分がいくつになっても、周囲からどれだけ笑われようが、自らの信念に基づいて行動できる人が、いつまでも輝いて若々しく歳を重ねられるのではないでしょうか。
限度、殻、常識に縛られている限り見える景色はいつも一緒です。
さあ皆さん。
Let’s have a nice your journey!
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