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  • 子育てコーチング

    >ケーキ屋さんのショーケース前で、〇〇ちゃんは〇〇が好きだからこのケーキが良いと思うよ。

    >デパートの子供服売り場で、〇〇ちゃんは〇色が好きだからこのお洋服が似合うと思うよ。

    >ファミレスで、〇〇ちゃんは〇〇が好きだからこれにしようね。

    悪気は無くとも、子供に対して上記のようなコミュニケーションをしたことはありませんか?

    自らの経験から導き出した解に子供を誘導している事に気付いているでしょうか?

    このようなコミュニケーションを続けると、良い子でいなければと考える子供は無意識のうちに、何事に対しても親の解を探してしまう癖がついてしまいます。

    子供の答えに予測がついても、子供の回答が予想通りだったとしても、毎回毎回、子供に考えさせて判断をさせる。って事を習慣化させてはいかがでしょうか?

    その中で小さな失敗は起こるかと思います。ですがそこで「ほらね言ったでしょ」とか「だから言わんこっちゃない」とか思っても心に出さず子供の意思で失敗をどのように捉え、その失敗から何を学ぶのかを見届けて欲しいです。

    沢山の失敗から学びを得て何度も立ちあがる経験が、学生、社会人となる過程の中で、自ら考え自らの責任で行動できる主体性を育み、失敗しても次のチャレンジに向かう強さと、周囲で失敗している人を見ても蔑んだりする事なく、受け入れ、認め、時には手を差し伸べることができる優しさであったり多様性が磨かれるのではないでしょうか。

    子供だからではなく、1人の人間/個性と対峙すると思って相手を敬い、尊重することが健全な成長を促すのではないでしょうか。

    決して何でもかんでも、子供の選択を尊重しては?という極論を申し上げている訳ではありません。

    例えばですが、交通ルールを守らせたり、図書館、病院といった公共の場での立ち振る舞い。食事(ビュッフェやレストラン)のマナーなど本人の安全や周囲に影響を及ぼすシチュエーションなど、ルールが存在する場所についてはルールは教えるべきかと思います。

    ティーチングとコーチングをバランスよく組み合わせて、子供の個性を育みたいですね。

    Have a nice your journey!

  • 最近、器の大きな人って減ったと思いません?

    俺が責任持つから、思った通りにやっていいよ!

    見なかったことにするから、好きにやって!

    昔は頑固親父だったり雷親父だったり、合理性よりも本能や情に厚い人が一定数居たように思うんですよね。

    しかしながら、整合性、正論、理想論などごもっともなご意見が主流となり、ルールを破って失敗しようものなら全方位からバッシングされる訳で、、、

    殺戮が起きている世界情勢や、物価の高騰を含む経済情勢よりも、残念ながら著名人の不倫の方が興味が高いらしいです、、、

    そりゃ〜リスクを冒してまで火中の栗を拾おうとする輩などいなくなりますよね。

    チャレンジして失敗してバッシングされるなら、大人しく背景、風景の一部となって事をやり過ごした方が、賢明な判断となりますよね。

    でも本当に世の中は正論ばかりで成り立つのでしょうか?

    合理性よりもその時の感情、例えば綺麗、美しい、没頭する。説明できないけど心地良い。みたいな本来、人間が持っている感情であったりフィーリングをもっと大事にした方が人生楽しいと思いません?

    例えばですよ、

    >塩分摂取量が過多になるからラーメンは食べない。

    >太るから炭水化物は取らない。

    >生活習慣病が怖いから脂質は摂らない。

    逆にストイック過ぎて、

    >たんぱく質を多く摂りたいから鶏肉は胸肉のみ

    >遺伝子組み換えに技術に信頼ができないから大豆は食べない

    >野菜は全てオーガニック

    などなど、そりゃ〜身体に良いでしょうが、続きますか?緩い時間があっても良いとは思いませんか?

    何事にも合理性を求め、自分の選択した行動に自分以外からの同調を得る。可能ならばエビデンスを入手し自分の行動に第三者からのお墨付きを得る。

    本当に必要ですか?

    他人からの評判であったり、世の中の正解を踏襲するのではなく、単純に自分が好きだ!楽しい!って本能に従って行動することがもっと称賛されて当たり前になって欲しいと思いませんか?

    >管轄が違いますので、、、

    >それらの備品については前任者が勝手に実施したもので、、、

    >前例がないもので対処し兼ねます。

    怒られるから冒険しないのですかね?それとも失敗する事に対して尋常じゃない恐怖を覚えてしまうのでしょうか?

    思ったより根が深く、なかなか現状を変える程のエネルギーを費やすのには時間が足りなそうです。

    誰だって失敗なんてしたくないんですよ!

    ですけれども失敗を科学し検証することで、失敗から多くの学びを得ることで、弱者へのサポートであったり、今まで気づかなかった新たな自分の可能性へのチャレンジであったり、可能性や視野が大幅に増えるのではないのでしょうか?

    誰かがリスクを取って前進しなければ、新たな境地には辿り着けないのです。又はチームを導くことはできないのです。

    上司たるもの、目の前の事象に一喜一憂せず、客観性を維持しながら成長を見届けたいものですよね。

    器の大きさを見せようではありませんか!

    Have a nice your journey!

  • 哲学

    哲学という言葉自体が、小難しい印象を持っていますので、身構えてしまうかも知れませんが、誰もが皆、身近なところで様々な哲学に接しているように思います。

    是非、身近な哲学を少しだけ言語化して見えるようにしてみましょうか。

    朝は、ご飯と味噌汁ですか?それともパンとスープ?またはシリアルと牛乳でしょうか?

    必要なアウトプットを出すための糖分摂取、食欲のない中で吸収率を最適化した素材、活力のために好きなものを食べる。

    エネルギーを摂取したい人もいれば、エネルギーは最低限で食物繊維を望む方もいます。アスリートならば炭水化物よりもアミノ酸やタンパク質といった、自身の身体を修繕、回復させ、パフォーマンスを維持するための補給がメインになるかと思います。

    でも、正直そこまで意識して朝食を摂る人なんていませんよね(笑

    単純に好き嫌いであったり、親や配偶者といった身近な生活を共にする人のお勧めでったりもするのでしょうか?

    その当たり前に少しでも疑問を持ったのなら、それは当たり前でも何でもなく哲学に入ってくるように思います。

    なぜパンではなくご飯なのか?そもそもご飯である必要があるのか?

    目的は腹を満たすものなのか?それともパフォーマンスを発揮するための源なのか?

    何気なく摂取していた朝食が急に意思を持ち始めましたね(笑

    >お風呂が先ですか?それともご飯が先ですか?

    >朝食の前に歯ブラシですか?それとも朝食後に歯ブラシですか?

    >お味噌汁は右側ですか?それとも気にしませんか?

    >お魚は先に骨を取りますか?それとも都度分けますか?

    >食事の前に甘いものを摂取するのはありですか?なしですか?

    >お菓子はいつ食べますか?ルールありますか?自由ですか?

    何気ない普段の営みですが、自分にとっては当たり前でも他人から見たら異質であったり、自分の常識が通じなかったりしたことありますか?

    良いとか悪いとかではなく、純粋に哲学の違いが差を生んでいるように思います。

    >とりあえずビール。

    >先ずは野菜から。

    >味噌汁は熱々で。

    他人を非難するつもりもないですし、悪気は無いんですよ。

    でも、人間って自分が当たり前だと思っているので、ちょっと価値観が違うと思えば、相手を非難したり距離を置いたり自分とは違う異質だと認識し、別物として扱ってしまうんですよね。

    自分の中で大事な価値観は誰に何と言われようとも、揺るぎない信念を持つべきですし、自分と交わらない価値観については、受け入れる必要はありませんし、かと言って否定をする必要もありません。そのような価値観が世の中に存在し、それを崇める人材が存在することを認識できれば十分な気がします。

    自分の価値観を無理やり相手に認めさせようとするから、いざこざや争いが起きるわけで、、、

    そんなもんそっとしとけば良いですし、むしろそっとしといて欲しいですよね(笑

    もし、哲学を本業とする方が読んだらお叱りを受けそうな文面になっていることは認識しております。

    哲学者でも思想家でもない一サラリーマンの戯言だとご了承ください。

    Have a nice your journey!

  • 誘惑

    土曜日は遅くまで友達とオンラインゲームをして遊びました。

    翌日の日曜日は朝からサッカーの試合にも関わらず。遊び疲れとしんどい思いをしたくない、厳しい監督から逃れたい。というネガティブなマインドが蔓延し、試合にも身が入りません。

    そんな状況で活躍できるはずもなく、チーム状態も上がらず結果は惨敗でした。

    ゲームチェンジャーと呼ばれる因子がチーム内に入り、負のスパイラルを断ち切って、新たな脈動を送り出してくれるような存在が欲しいですよね。

    気の合う友達とオンラインゲームをやっていた方が楽しいに決まってますが、明日の試合を少しでも優位に進めるために、前日からコンディショニングを進め、試合当日も定刻に余裕を持って会場入りして、入念に準備を行う。

    大人に近付くに従って、つまり大学生、高校生などはやるべき事の優先順位は自分で考えられるかも知れません。

    しかし、中学生なんかはコンディショニングよりもオンラインゲームの方がまだまだ楽しいですよね。

    試合に負けたとて、試合が終わればまた友達とオンラインゲームの算段です(汗

    敗因は?足りなかったことは?目標は?

    と問いただしたとて、なかなか響きませんし、試合頑張ったらから次は楽しみの時間だ。くらいにしか思ってませんよね(涙

    楽しい時間から試練に向かう時はなかなか切り替えられないのに、逆の試練から楽しい時間への切り替えは物凄く早いです(笑

    どうやってコーチングしましょう?

    高校生くらいになるとある程度論理的に話しても理解できると思うのですが、中学生に理詰めで接しても疎ましく思われて終わりな気がします。

    やはり、難しい言葉は極力避けたうえで、できるだけシンプルに相手に響く言葉を使いたいですね。欲張ってあれもこれも詰め込み過ぎると相手に響かないでしょう。

    今日のテーマは準備ですかね。

    >どのような準備があるのか?

    >なぜ準備が必要なのか?

    >準備を整えて試合に臨めたか?

    多くてもこれくらいですかね?

    何かしら気づきが与えられたらOKくらいで辛抱強く待ちましょうか。

    大人とて誘惑に負けて楽な道に進んでしまうことも多々あるでしょう。自分ができないのに小学生や中学生に自分を律するように説いても説得力がありませんよね(笑

    目くじらを立てず、一喜一憂せず、長期的展望を持って一緒に歩んで行こうではありませんか!

    Have a nice your journey!

  • 中間管理職

    あなたは今、どのような立場で仕事をされていますか?

    経営者側ですか?それとも最前線の現場側ですか?

    どちらにせよ、自らの置かれた立場で最善のアウトプットを出すべく邁進されていることと存じます。

    労働人口が全人口の60%くらいあって、その中の1割くらいが自営業者、経営者と呼ばれる人々も1割弱、すなわち労働人口の7〜8割が雇われている雇用者になるでしょうか。

    さらにその中の中間管理職ってどのくらいいるのでしょうね?

    1割から2割くらいですかね。

    おおよそ600万人から1000万人弱くらいが中間管理職という立場で働いているのでしょうか。

    皆さんと関わっている中間管理職の人ってどのような方が多いですか?板挟みになって疲弊していますか?

    経営者側の人間になるべく、毎日ギラギラして上を目指していますか?

    それとも上から降ってくるプレッシャーの防波堤になって、現場が仕事をしやすいように振る舞ってくれていますか?

    どちらが正解と言うつもりはありませんが、前者は現場が疲弊する気がしますし、後者はスピードや結果というところで経営者からの不満はありそうですね。

    どっちが正解と言うつもりはありませんが、自分の力量と強力なリーダーシップで成果を出している。という考えと、みんなが頑張ってくれているから組織の成果が出ている。と思えるか。

    同じ成果を出すにしても、考え方一つで部下からの信頼度は全く違って来そうですね。(行動や言動に現れるので、部下は見抜きますよね)

    勘違いして頂きたくないのですが、防波堤になる。と言うのは経営者の方針や指示を無視して、現場におべっかを使う。と言う意味では決してありません。

    目標を達成するために行動するのは雇われ従業員としては当たり前の行為です。

    経営者の考えや指示をストレートに現場に下ろすと、無駄にプレッシャーを与えることってありませんか?

    現場が余計なプレッシャーを感じることなく、最大のパフォーマンスを発揮できるように、言い回しを変えたり、現場が理解しやすい例えを用いたり、個々に合わせて必要なスキルを学ばせたりしながら、上手に部下をモチベートし、時にはコンフォートゾーンから引っ張り出してポテンシャルを最大限発揮させたりと、あの手この手、時には試行錯誤しながら部下と同じ目線になって問題解決することが大事なのでは?って私は思うのですよね。

    しかし、上司や経営陣はとにかく結果を早急に求めがちな気がします(笑汗

    人間を育てるのってほんと時間かかりますよね!

    ちゃんと結果出すからもう少しどっしり構えて待っとき〜な!

    っていつも思ってしまいます(笑

    あんたらがちゃんと人材育成の基盤作ってへんから今現場が困っとんねん!

    って愚痴も言いながら(笑

    何度も言いますが、コーチとて聖人君子ではないのです。

    文句や愚痴だって出ますよね(笑

    何事も楽しんでチャレンジしましょう!

    Have a nice your journey!

  • 一過性

    ぬか喜び、早とちり、先走り。似たような言い回しが多数あると思いますが、皆さんも「できた、分かった!」って思った事が実は勘違いだったり、真実を掴めてなかったりしてがっかりした経験はないでしょうか?

    例えばですが、フリースローのコツを掴んだ(バスケ)、バントを極めた(野球)。水を掴む感覚を得た(水泳)。ボールを遠くに飛ばすメカニズムが分かった(スポーツテスト)。機械故障の原因が分かった(製造現場)。上司の思考の癖を掴んだ(従業員として)。ダイエットのコツを掴んだ。彼女(彼)の扱いを学んだ。などなど、OnでもOffでも「できた!」って思っても再現性がなかったり、持続性が乏しかったり、思うような結果が得られなかった経験があるのではないでしょうか?

    なぜそのような事象が生まれるのか?

    1回ならばまだしも、経験しているはずにもかかわらず何度も同じ過ちを犯してしまうのか?(全く同じ事象ではなく、同じような傾向、応用の範囲として)

    一つは正常性バイアスでしょうか?

    こんなはずはない、私は大丈夫、これだけ頑張ったんだから。過去の経験を元に、これだけ頑張っているのだから。

    などなど

    残念ながら、物事を俯瞰できずに自ら都合のいい解釈をする事で、自分の意見や考えに対して、都合のいい解釈をすることを正常性バイアスと言います。

    自己認識やメタ認知能力の高い人間は、常に最悪を考え物事を楽観視することなく、目の前の事象に対して最適なアプローチをすることが可能かも知れません。

    ですけれども、人間、それほど強くありませんし、間違いも起こします。楽したい。ズルしたい。って思ってしまう時もあるのではないでしょうか?

    本能に従って行動するのも自分ですし、何かしらの邪念が入ってしまうのも、また自分かと思います。

    自分に甘いとか意思が弱いとか言われたら、返す言葉もありませんが、頑張る自分、怠ける自分、強い自分、弱い自分。全てが自分なんですよね。

    結局は何度足元をすくわれても、何度打ちのめされても、何度でも立ち上がる忍耐力。起き上がる強さを持って行動できる奴が最後は勝つ気がします。

    コーチとして大事なのは、最短距離で解に導くのではなく、想定外が目の前に立ちはだかるのを前提として、自ら考えチャレンジし、何度も打ちのめされて、遠回りしてでも這い上がってくる忍耐力、精神力を鍛える事が求められるのではないでしょうか?

    万病の薬がないのと一緒で、全ての事象を網羅できるスキルも持ち合わせていません。

    それでも自らの能力を信じ、前に進む強さを育みたいですね。

    Have a nice your journey!

  • 不完全

    あなたは不完全な状態の自分を愛せますか?

    誰にだって憧れはあるでしょうし、自分が最低限達成したいレベルは存在すると思います。

    ですが、毎回毎回、達成基準に達する訳ではありませんよね?

    その、達成基準に及ばなかった自分をあなたは愛せますか?

    努力が足りなかった、設定した達成基準が甘かった。などなど後で反省することは、いくらでも出来るかと思います。

    しかし、100%この道を進んだら成功する。って断言できる道も存在する訳ではありませんし、、、

    個人的な話をさせていただけるのであれば、達成基準に対して進捗が余りにも遅く、期限内に目的を達成するのは難しい。と自己認識した時点で、

    >必要なリソースは揃っていたのか?

    >方向性は間違っていなかったか?

    >聴衆、フォロワーの興味を繋いでいたか?

    >自分の掲げた達成基準は実現可能なレベルだったか?

    などなど、様々な角度から振り返りであったり反省を繰り返す中で、何が原因で自分の望む結果にならなかったのか?

    どうすれば次回は同じ過ちを起こさずに対応できるか?

    決して完璧ではない自分の行いを正しく認識して、何が原因で目標まで到達できなかったのか?正しく自己認識をしながらも状況に応じて行動できる実行力を高める必要はありそうですね。

    似たような過ちを繰り返すこともあるかも知れません。そんな自分を愛して許せるか?

    表現が難しいのですが、自分を甘やかす。とはニュアンスが違うんですよね(汗

    然るべき準備、努力、を行うのはもちろんなのですが、完璧を求めすぎると自己肯定感が低くなってしまう気がします。

    様々な要因が複雑に絡み合って、期待通りのパフォーマンスが出ない現状を、悲観することなく、自分の能力と行動力を信じて我慢できる忍耐力と、必ず事態は好転する。と信じる楽観力が必要な気がします。

    とりとめのない文章になってしまいましたが、今、私は現在の本業の方で、トラブルが頻発しており非常に流れが悪いです(汗

    決して手を抜いて対処しているつもりはないのですが、次から次へと想定外のトラブルが起きていまして、、、

    自分の不甲斐なさや能力の低さに悲観的になってしまうこともあるのですが、そのようなネガティブな気持ちに支配されると益々状況が悪化してしまう気もしています。

    自分自身を鼓舞し、どのように振る舞うことで状況が好転するのか?を言語化したつもりです。

    皆さんもなかなか状況が好転しない時期、タイミングがあるかと思います。環境のせいばかりにすることなく、とはいえ自分の自己肯定感を失うことなく希望を持って乗り気りましょう。

    時には自らをメンテナンスするセルフコーチングを取り入れてくださいね。

    Have a nice your journey!

  • 試練

    月並みな言葉ではありますが、試練は乗り越えられる人間にしか与えられない。といった偉人の名言は聞いたことはありますか?

    あなたは率直にどう思いますか?

    試練を乗り越えた人間だけが辿り着ける境地でしょうか?

    それとも困難な局面に陥った時こそ、自分やコーチィを鼓舞するために用いる比喩でしょうか?

    人間誰しも生きていれば、大なり小なり悩みはあるでしょうし、人それぞれの方法で困難に立ち向かっているのではないでしょうか。

    ダイエット初日、頑張って炭水化物の摂取量を減らすことができた自分。1日、2日で結果は出ないと頭では分かっていても、余りの体重の変化の無さに落胆し、投げやりになってカロリーを過剰摂取してしまった3日目の自分。

    どちらも紛うなき自分ですよね。

    いつ何時、どのような試練が訪れても乗り越えられる。って自信を持って言える人は見たことありませんし、どんなに困難は遭遇したくない!って思いながら暮らしたとしても、人それぞれ何かしら思い通りにならない現状に遭遇する時はあるのではないでしょうか?

    例え他人から見たときに取るに足りない小さな試練だとしても、乗り越えた本人にしか味わえない喜びがあるでしょうし、一方でどんなに努力しても乗り越えられなかった壁も存在するのではないでしょうか。

    極論を言えば、当人にとっては試練であっても他人には試練でない事もあるでしょうし、他人が試練だと思っている事象に対して自分にとっては試練でも何でもなく当たり前のことだったりする訳で。

    乗り越える辛さは当人にしか分かりませんし、ひょっとしたら他人が試練を乗り越える辛さや、痛みを同じレベルまで理解できることはないのかも知れません。

    赤ちゃんにとっては、未知の物体を口に運ぶのは試練ですし、幼児や児童が初めて一人で電車に乗るのも試練かと思います。女性が一人でラーメン屋さんに入るのも試練でしょうし、おっさんがエステ店に入るのも試練なのです。

    ですが、一度乗り越えてしまえば、経験する前に怯えてたほど大したこと無かったな?って思えることが大多数ではないでしょうか?

    可愛い子には旅をさせよ!とは良く言ったもので、世の中の摂理を的を得て表現していると私は思います。

    試練という亡霊に怯えていただけで、真正面から立ち向かったら、意外とあっさり乗り越えてしまえる壁も多くあるのではないのでしょうか?

    試さず、行動する前から悲観するのではなく、勇敢に困難に立ち向かえるマインドをコーチとしてコーチィに授けたいですね!

    Have a nice your journey!

  • アマチュアスポーツ

    どの世界もそうだとは思いますが、実力に応じてスタメンが変わるわけで、、、

    あなたがコーチだとして、能力が拮抗した2人がチーム内にいたとします。

    違うのは学年のみです。

    あなたならどちらの選手をスタメンに抜擢しますか?

    上級生として、チームを牽引してきた功績を評価するか?それとも来年以降のチーム編成を考慮し、下級生のコーチィに経験を積ませるか?

    非常に悩ましい問題ですよね?

    プロスポーツであれば、結果が全てでも良いかも知れません。

    しかしながらアマチュアレベルの話をすれば、チームへの貢献は試合でどれだけ活躍したか?だけでなく、チームが低迷している時にどれだけチームを鼓舞したか?目標を見失ったメンバーを励まし、モチベーションを与えることができたか?コーチと選手の間で信頼関係が失ったと感じたとき、間に入って建設的な議論を主導できたか?孤立しそうなメンバーに対して、どうやって自信を持たせたか?などなど、結果とは一見関係なさそうなところで献身的に貢献している人を評価したいと思いませんか。

    自分の長所、自分の役割を自ら見出し組織の中で自分の存在意義を発揮できる人材は貴重ですよね。

    ひょっとしたらフィジカルとか運動神経とかが勝っており、一時的には活躍できる人材もいるでしょうが、長期的にコーチィの人生を考えた時、どちらに人としての成長の余地があるか?

    で私は判断したいですかね。

    学生スポーツの監督さんが、競技だけでなく人間性を問うというのは、言語化すると同じような認識に辿り着くのでしょうか?

    一流と呼ばれる選手で、競技能力は高いけど人間性が備わっていない。と言われる人は少ないですものね。

    そうなると、益々、人間性を育むのって本当に難しいですね。

    どうやって人間性を育みましょう?

    >自分の練習が終わったら他人の練習を手伝ってくれる人

    >準備、片付けを率先してできる人

    >メンバーが活動しやすいよう雑用を引き受けてくれる人

    あなたの周りにもそのような方々はいらっしゃいますか?

    徳を積む人が最後は強いのでしょうか?

    私自信、明確な解はありませんが、色々な検証をしたい事案ではありますね。

    Have a nice your journey!

  • 世代交代_家族

    例えばですが、息子が父親の身長を抜いた時。家族でドライブに行く際、父親ではなく息子がハンドルを握るようになった時。

    娘の相談相手が母親ではなく、友人や彼氏になったとき。娘が実家に帰るのではなく、母親が娘を訪ねるようになった時。

    いかがでしょう。家族内でも世代交代を感じたり経験したりした方はいらっしゃるでしょうか?

    当たり前とは言いませんが、子が親を超える時、一つの世代が動くような気がします。もし、あなたが親だとして、その瞬間を喜びと感じるのか、それとも寂しさが募るのか。

    子離れと親離れはどっちが先の方が良いんですかね?

    本来家族というのは、利害関係はないはずなのでどっちが良いとか偉いとか無くても良いはずなんですけど、どうしたものか実際には利害をお互いに譲れなかったり搾取したりって状況が生まれている気がします。

    成人しているのに、事細かく自分の正解を子供に押し付ける親の何て多いことか。

    一方で子供も幾つになっても自立せず、最悪の場合は親の年金を当てにして暮らしている輩の何て多いことか。

    今まであなたを大事に育てて養育費も掛かっているんだから、社会人になったら親に還元しなさい。という主観極まりない理論をかざし子供から搾取する親。

    反論でもしようものならば、この恩知らずと罵られそうですね。

    一方で大事に大事に育てた挙句、社会の厳しさに耐えられず社会との接点を失い、自立できない子供。当事者意識など持てるはずもなく、自分の思い通りにならない事象について全て周囲や環境のせいにしてしまう歪んだ考え。

    >愛することと、相手を思い通りにすること。

    >失敗から遠ざけることと、失敗から学ばせること。

    >愛情を注ぐことと、相手の自尊心を大事にすること。

    >できないと可能性を潰すのではなく、可能性を信じて寄り添うこと。

    似て非なる言葉ですし、長期的視野で考えたら結果は真逆にすらなってしまいます。

    親もかつては子でしたし、親になったとしても新米なのです。

    間違って当然ですし、間違った時こそ子供と同じ目線で考え話し合い最適な解を都度、導き出して一緒に歩んで欲しいですよね。

    正解などないのですから、失敗に敏感になり過ぎることなく、周囲の目など気にすることなく、当人同士が納得する方向に進めば良いのではないのでしょうか?

    例えばですが、長嶋茂雄の息子として生まれた一茂は、人知れず物凄いプレッシャーの中で生を受け、人生を歩んで来たのではないでしょうか。野球選手としての功績は父親の足元にも及びませんが、どうですか、現在はタレントとして物凄く活躍して世間から認められていますよね。

    父親とは違う道で自分の才能を開花させた、素晴らしい例ではないでしょうか。

    桑田真澄とMattとか、小泉純一郎と小泉孝太郎とか、森英恵と森泉、森星とか、二世、三世でも異なる業種で華々しい活躍している人たちは大勢いるような気がします。

    決して親が子供の将来に向けてレールを敷くのではなく、子供の可能性を信じて寄り添った結果だと思うんですよね。

    大谷翔平と真美子さんの間にお生まれになったお子さん。どのようなジャンルで活躍するのか楽しみですね。

    さ〜皆さんもコーチィの可能性を信じて寄り添いましょう!

    Have a nice your journey!