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  • BBQ

    いきなりですが、皆さんはBBQ好きですか?

    そもそも外でやるのがウザい、楽しんでる感出さなきゃいけないのが嫌だ。

    外で食べるお肉、お酒はやっぱり美味しい。

    肯定派、否定派分かれそうですね。

    私は好きですよ。基本、焼き係ですかね。

    命を頂く訳ですから、少しでも美味しく食べて欲しいと思って、それぞれの好みを把握しながら焼き加減の調整をしますかね。

    BBQって人柄出ますよね(笑

    Giverだな!って思うのは常に周囲を見渡して、お肉やお酒が無くなったら補給する奴。一番出るのは片付けですかね。面倒な片付けを率先してできるのはやっぱりGiverですね。

    Matcherは特に可もなく不可も無く、好きなものを焼いたり、自分が飲みたいタイミングでお酒を飲んだり、自由に過ごしている感があります。

    一方でTakerは動かないですね(涙

    居心地のいいテリトリーを作って、そこから動かないですね(笑

    基本、片付けは嫌いなので関与しません。

    私ですか?そりゃ〜Giverでありたいと思っていますよ。前日から買い出しして肉の仕込み(トリミングとスライス)、余った部材で煮込みを作って、少しでもみんなに喜んで貰いたいと尽くしますよ(笑

    しかしながらお酒が好きなのと、お話に夢中になってしまう傾向があって、最初はGiverなんですけど途中からMatcher→Takerとアイドルの衣装のごとく七変化してしまうかも知れません(笑

    保身の為に言っておきますけど、前日から煮込んだ切り落としで作ったタンシチューは評判良かったですよ(笑

    肩肘張らず緩い感じでBBQやったら楽しいんじゃないですかね。

    あいつはGiverだ!あいつはTakerだ!って見てしまうと折角の楽しいBBQも世知辛いものになってしまうので、あくまでも緩い感じてお願いします。

    何でこんな話をしたかって?

    仲間とBBQやるのにルールありますか?

    火の起こし方、肉の焼き方全てに対して、周囲に同じやり方を求める奉行がいるBBQ楽しいですか?

    それぞれがそれぞれの楽しみ方でやれば良いんですよ!

    ちょっと焼きすぎてしこたま怒られるBBQには参加したくないじゃないですか?

    何でもかんでもルールに縛り付けられる状況、何とかなりませんかね?(笑汗

    考える力、想像力を削ぐだけだと思いませんか?

    全てが本心とは思いませんが、無意識のうちに本性が出てしまうBBQは私は好きですよ!

    Have a nice your Journey!

  • 連帯責任

    大なり小なり、会社でもプライベートでも、さまざまな失敗を経験すると思います。

    当たり前ですが、その失敗を無駄にしない為には、何かしらの対策を打ち同じような状況に陥った場合でも、次は上手に壁を乗り越えられるようにコーチングすることが建設的な措置となるのではないでしょうか?

    30人の部下がいたとして、1名が遅刻したとします。

    個別指導をした後、失敗から何を学び今からの行動にどのようにして生かすのか?初犯ということもあり、本人の可能性を信じ口頭での注意のみで事が収まったとします。

    一方で、普段から業務態度が目にあまり、いつか個別指導をしなければ!と思っていた対象者が遅刻をした場合。遅刻した事実だけでなく、過去の問題行動や考え方の偏りに至るまで本人が理解し納得するまで話し合った上で、初めて次のActionが生まれるのではないでしょうか。

    人間、誰もが失敗をすることはあるかと思いますし、失敗の全てが悪いことだとは思いません。むしろ失敗した責任を感じている本人が一番学びを得ているでしょうし、絶対に次は同じ失敗をしない!と心に誓っているかと思います。

    事象としては、同じ遅刻なのです。

    しかしながら、本人の性格であったりこれまでの業務態度、本人の能力や向き不向きなど、全てを勘案したのち個性に合わせた指導の方法があってしかるべきかと思います。

    つまり30人の組織、部下がいるならば30通りの指導方法があるではないでしょうか。

    にもかかわらず、コーチング能力がない指導者は連帯責任と称して、画一的な指導をする訳です。すると指導方法に合わなかったり指導方法に納得できない層が組織の方針に反発したり、優秀な人材が組織から抜けたりして組織が弱体化してしまうのです。

    ミスや失敗を起こした人材に対して懲罰を与えるのではなく、失敗から何を学び今後にどのように生かすのか?本人に考えさせて新たな行動を起こさせるように誘導するのがあるべきコーチングの姿ではないでしょうか。

    ミスや失敗から学び同じ過ちを起こさないための対策は重要になるかと思います。しかしながら組織のトップや上層部が従業員に対して、作業前の事前チェック項目や上層部に対する細かい報告を求めることが、果たして最適な対策でしょうか?

    私にはこれも組織に対して画一的な連帯責任者を求める対応になっているように映ります。当事者が考えて次のアクションを実行するのではなく、常に上司、上層部の指示を仰ぐだけの指示待ち層を育成するだけのように思います。

    育成には時間が掛かるのです。どうやってその個性を伸ばしていくか?コーチィに寄り添ったコーチングを心掛けたいですね。

    Have a nice your journey!

  • アントレプレナーシップ

    先日、アントレプレナーシップにおける第一人者のお話を幸運にも生で拝聴する機会がありました。

    私自身、コーチングを独学で勉強する中で、アントレプレナーシップと言う言葉、学問に出会い感銘を受けた経験があります。

    その第一人者の先生は、第一声で「人の夢を絶対に馬鹿にしてはいけない」と仰っていました。

    私も正にその通りだと思います。

    身近な存在(親、兄弟、パートナー、先生、監督、上司などなど)に夢の一片を語った際、「それは無理だ」「できっこない」「やめた方がいい」などなど、出来ない理由を並べられることで、何人もの可能性、夢がチャレンジすることもなく潰えてしまったことと思います。

    一方で、途方もない夢を信じて応援してくれる人が身近にいた人は、成功した人も一定数存在するでしょうし、何よりも夢に向かってチャレンジする中で、何事にも代え難い学びを得たのではないでしょうか。

    最大の違いは何かと言うと、前者は出来ない理由を無意識のうちに他人のせいにしてしまう能力が備わってしまいます。一方で後者は何をするにもどのような結果になろうとも、自分事として物事を捉える能力が身に付き、自ずと責任感を養えます。

    ぜひ、コーチィには未来志向を大事にして欲しいですし、コーチとしてはコーチィの可能性を信じ、可能性を広げる声かけをしたいものですね。

    コーチ自身のモチベーションはどうするのか?って、そりゃ〜誰でも思いますよね。

    非常に難しいのですが、やはり夢を語ってもネガティブな反応を示す人や組織とは距離を置き、同じ熱量で話ができる人や組織を選んで接することが重要なのではないでしょうか。

    いくら強い想いを持っていても、前者ばかりの環境に置かれてしまっては、少なからずマイナス方向に引っ張られる要因は存在し、自分の可能性を縮めてしまう力が働いてしまうのではないでしょうか。

    成功する人はセルフコーチング能力もきっと高いのでしょうが、周囲に集まる人々、自分が飛び込む組織は同じマインドを持つ人が大多数を占めるのではないでしょうか。きっと内省であったり物事を前進させるスパイラルが回っているのでしょうね。

    他人のせいにせず、自らの意思で後者を選べるコーチになりたいですね。

    いっしょにがんばりましょう!

    Have a nice your journey!

  • 上司とは

    どうですか皆さんは、これまで幾多の尊敬する上司と巡り会うことができましたか?

    それとも、思い出したくない上司が多かったでしょうか?

    最近、「親ガチャ」なる言葉が生まれましたが、親だけでなく、これまで影響を受けた先輩や上司なども究極はガチャでしょうか?

    人間、楽しい思い出や成功体験よりも、苦しかったこと、失敗した事の方が記憶に残るらしいです。(何かで読みました笑)

    一般論なのか脳科学的なのかは忘れましたが、良い上司よりも悪い上司の方が記憶に残るらしいです(笑

    さて、冗談はこれくらいにして、

    もし、意にそぐわない、価値観の合わない、生理的に受け付けない人材が上司となった場合あなたはどのように接しますか?

    >その上司が次の異動になるまで猫を被る

    >自分の能力を認めてもらうためにアピールを続ける

    >最低限のコミュニケーションのみでお互いのテリトリーに入らないようにする。

    >隙あらばマウントを取りにいく

    私が思うに一番やってはいけないのは、陰であること無いこと悪口ばっかりを述べて、周囲の人間を巻き込んで上司に対する否定的な価値観を洗脳すること。

    ゴシップとか同調圧力をネガティブに捉えた状態です。

    究極が何か?

    と言われれば、部下やコーチィと呼ばれる関係性で言えば弱者である方の人間が、相手を不快にさせることなく強者を引き込むこと。極論と言う話をするならば、弱者が強者の価値観をアップデートするくらいの変化があっても良いかも知れません。

    現実的な話をするならば、相手の価値観を変える程の影響力など、なかなか発揮するのは難しいかも知れません。なぜならば相手に新しい価値観を受け入れる準備が出来ていないからです。

    それならば、八方塞がりで何もせず事が過ぎるのを待つのが正しいのか?

    私はそうは思わないんですよね。

    今まで話した内容は全て、誰かに認められたい。と言う想いが強く。残念ながら自分がどうしたいか?と言う主観が抜け落ちている気がするんですよね。

    理想論のように聞こえるかも知れませんが、上司に認められたい。と言う気持ちがあるから、思い通りの結果が得られない時に、失望を覚えるのです。

    いつ、どのようなタイミングで、どんな上司が配属されようとも、自分の目標、やらなければならない事が明確になっていれば、やることに迷いは無いと思うんですよね。

    そんな強い人間ばかりではないと認識していますし、偏った意見を述べている。と言う自覚はあります。

    ですが、あなたは上司の為に一生懸命働いているわけじゃないですよね?

    周囲の目や周囲からのプレッシャーではなく、自分の心の声にもっと寄り添って、何をしたいのか?何をすべきなのか?もっと自分の価値観を信じれるマインドを育てたいですね。

    Have a nice your journey!

  • いきなりですが、ちょっと性の話をしてみましょうか。

    日本は諸外国と比較して、性に対する教育であったり認知であったりが遅れている。とは良く言われる形容ですよね。

    どうですか?皆さんは?

    例えば親御さんから性に対して話されたことありますか?もしくはあなたが親の立場だとするならば、お子さんと姓について話したことありますか?

    なぜ日本では性の話がタブーになったのでしょうかね?

    そう言えばつい最近、スイスのシンクタンクである世界経済フォーラムが、世界の男女平等度を発表しましたね。日本は148ヶ国中118位でしたね。

    遊女、遊郭という言葉であったり文化は非常に歴史が古く、江戸時代とかいうレベルではなく、奈良、平安時代まで遡るようです。

    諸説あるとは思いますが、一方で女性向けの風俗が認知され一般的なサービスとして定着したのは、つい最近ではないでしょうか?

    男性は1,000年以上もの間、快楽を求め続けて来たにも関わらず、女性が快楽を求めることの市民権を得たのはここ数年のことなのです。

    それだけ歴史観であったり実情が隔てられている中、男女が同じ目線で性について語り合うのは難しいのかも知れませんね。

    少々、極論的なところに話を振ってしまいましたが、性に対して開放的な人と未だに性について、もしくは快楽を求めることについて誤認識とは言いませんが、後ろめたさを感じている人とが価値観を共有することは難しそうですね。

    パートナー同士が一つ屋根の下で暮らす中、性の営みだけではなく、普段の何気ないスキンシップであったり、同じ箸や茶碗、コップやストローの使い方など、距離感ってすごく大事な気がします。

    例えばですが、性的な営みについて一方に不満がある場合、求められた場合は不同意に近い形でイヤイヤ付き合うのが現状でしょうか?

    肌と肌が触れ合うようなスキンシップを自分は多くしたいと思う一方で、相手は求めに応じない。

    公の場で、手を繋ぐのはOKだが、駅や空港など第三者がいる空間でハグやキスはしてはならない。という価値観を持った人間といつでもどこでも自らの主観で愛情表現をしたい人。

    どうですか?上手く行くと思いますか?

    例えばですが、パートナーであったり夫婦であってもコップや箸など、直接体液に触れるものは共有したくない。という考えの人と、細かい事は気にせず、パートナーだから全てを共有すべきだ。

    というお互いの考え方が真逆な人同士が一緒になって上手く行くとは思いませんよね(汗

    距離感が一緒ならば少しくらいの違いを笑って過ごせる内容でも、価値観が全く異なってしまうと、少しの違いが嫌悪感を抱いたり決定的な軋轢を生む原因になってしまうようにも思います。

    似たもの同士。とは良く言ったもので、慎重派でも、保守派でも、革新派でもお互いの価値観が近い方がお互いストレスは少なそうですね。

    少子化も進んでますし、もう少し性に対して寛大な世の中でもいいと思うのは私だけでしょうか(笑

    Have a nice your journey!

  • 強制

    個人的にはもの凄く嫌いな言葉です。

    論理的に破綻しているにも関わらず、伝統だから、昔からの慣わしだから、いつもやってるから、これが常識だから、と納得できる説明も無いまま、あなたもこの組織に所属したかったら守りなさい。という無言の圧力は嫌いですね。

    伝統やしきたりを全否定するつもりはありませんし、信仰は自由なので踏襲するか否かは本人の判断に委ねられるのは構いません。

    しかしながら、考えや信仰が合わないので辞めます。参加しません。といった因子に対して、寄ってたかって弾圧する世の中の摂理が嫌でなりません。

    立場や責任/影響力が大きいほど、強要や強制的な言動、振る舞いが多いと思うのは気のせいでしょうか?

    某有名大学の運動部の監督がコーチからの警告を無視して身勝手な振る舞いを行う。

    創業者一族が全ての利益を搾取し、従業員やステークスホルダーへの還元を行わない。

    権力者が自らの意見に同調する人材を優遇し、少しでも自分と違う意見、考えを持つ人間を冷遇する。

    悲しいことに2025年の現在、大国と呼ばれる国家の党首が揃いも揃って、自らの考え意志に異を唱えようものならば、権力によって排除する。という行動を正当化して行なっている訳です。

    自分の子供であったり愛する人であっても、決して自分の思い通りになどなりませんし、むしろ自分と違う意見を持っていることが健全であり多様性を育んでいる証だと私は思います。

    それをあたかも国家の党首であろう人材が、自らの意見と交わらない意見を全否定するとは、残念でなりません。

    >我が子の人権を無視して強制ばかりする親

    >自分が偉いと勘違いして店員に横柄な態度を示す中年

    >バイトを泣かして自分の権力を誇示する店主

    >出来ていないことばかりに目を向ける姑/お局

    >情報を小出しにして自らの地位を守ろうとするコーチ

    >デート中、自分の武勇伝ばかりアピールする彼氏

    >頼んでもないのに身の回りの世話をしたがる彼女

    結局、私は私ですし、あなたはあなたなのです。

    気が合う時もあれば、交じり合わない時があっても構わないのではないでしょうか。むしろそちらが健全な気がします。

    当たり前、常識、あくまでもそれはあなたの中の常識であって、全てにおいて第三者が同意している訳ではないと思うんですよね。

    それが親だろうが、子であっても。配偶者や部下、後輩でも自分の価値観を相手に押し付けるってことは、相手の可能性を閉ざす事にもつながる訳で、、、最悪は相手の人権をも潰している気がします。

    自分と違う意見を受け入れ尊重できる世の中はどうやったら築けるのですかね?(笑

    無理難題だと思いますよ(笑

    でも、俺がやらなかったら誰がやるの?って天の邪鬼な自分もいる訳で(汗

    可能性が0でない限りチャレンジするのもありじゃないですかね!

    先ずは、自分と違う意見を突きつけられた時、なぜ人は嫌悪感を抱くのか?深層心理を探って問題となる事象の原因を探りたいですね。

    プライド?同調圧力?自己認識?

    研究する価値あると思いませんか?

    Have a nice your journey!

  • 搾取

    残念ながら、どれだけ理想論を述べようとも、世の中に貢献して対価を得るのではなく、最小限の労力で人から資産を搾取しようとする人間は一定数存在します。

    日々の暮らしの中でも、

    >他人より少しでも先に目的地に辿り着きたい。

    >他人よりも新鮮で美味しい生鮮食品を選びたい。

    >他人より少しでも早く多くのサービスを受けたい。

    >他人より少しでも価値のあるものを選びたい。

    >他人よりも得をしたい。

    誰もが似たような事を一度は思い描いたことはあるのではないでしょうか?

    恐らくですが、過去、何かしらの状況でラッキーだった、得をした。という経験があるから上記のような欲が生まれるのではないでしょうか?

    何の野心や先入観を持たず、結果として得をしたならば、純粋に喜べるかと思います。

    例えばですが、払った額に対して得た対価が同等だった場合±0だとしましょう。

    イワシを1匹の値段が100円だったとして、

    お魚屋さんで、イワシ5匹を注文したところ、在庫が残り6匹だから500円で6匹持って行っていいよ。というサービスを受けたら嬉しいですよね。

    その時の感情としては+10くらいでしょうか?

    一方で、いつもサービスしてくれる八百屋さんがあったとします。今日は何をサービスしてくれるかな?という思いを抱きながら買い物をしたとして、何もサービスを受けられなかったとします。するとどうでしょう?対価としては±0なのに、心情としてはマイナス側に振れると思いませんか?

    予め、得をした状態、考えられる最高の状態を予想してしまうと、本来得るべき対価では満足しない状況に陥ってしまうのです。

    誰かが得をするということは、一般的には誰かが損をしている訳です。

    イワシの話に戻りますと、1kgいくらで仕入れているかは分かりませんが、魚屋さんの利益を僅かですが搾取していますし、

    >同じ時間に出発して到着時間に差ができるということは誰かが時間を搾取されているのです。(強引に車線変更する車がいれば、最後尾の車は信号に捕まる可能性が上がるのです)

    >ホテルでも飛行機でもフリーアップグレードを受けた場合、運営側の利益を搾取していますし、

    決して違法ではありませんが、誰かが得をすれば誰かが損をしているのが世の常かと思います。

    世の中の大多数は与え与えられる人かと思います。ですが、残念な事にある一定数は、自分さえ良ければ自分さえ得すれば。という考えを持った層が存在します。そのような層の人たちは徳など積めませんよね。反対に僅かですが無意識のうちに与えることを喜びに変換できる層も存在します。そのような人には徳が集まると思いませんか?

    聖人君子になれとは言いませんが、みんなが少しだけ人に与える割合が増えると、もっともっと住みやすい世界になると思うのは私だけでしょうか?

    いっしょにがんばりましょう。

    Have a nice your journey!

  • 子育てコーチング

    >ケーキ屋さんのショーケース前で、〇〇ちゃんは〇〇が好きだからこのケーキが良いと思うよ。

    >デパートの子供服売り場で、〇〇ちゃんは〇色が好きだからこのお洋服が似合うと思うよ。

    >ファミレスで、〇〇ちゃんは〇〇が好きだからこれにしようね。

    悪気は無くとも、子供に対して上記のようなコミュニケーションをしたことはありませんか?

    自らの経験から導き出した解に子供を誘導している事に気付いているでしょうか?

    このようなコミュニケーションを続けると、良い子でいなければと考える子供は無意識のうちに、何事に対しても親の解を探してしまう癖がついてしまいます。

    子供の答えに予測がついても、子供の回答が予想通りだったとしても、毎回毎回、子供に考えさせて判断をさせる。って事を習慣化させてはいかがでしょうか?

    その中で小さな失敗は起こるかと思います。ですがそこで「ほらね言ったでしょ」とか「だから言わんこっちゃない」とか思っても心に出さず子供の意思で失敗をどのように捉え、その失敗から何を学ぶのかを見届けて欲しいです。

    沢山の失敗から学びを得て何度も立ちあがる経験が、学生、社会人となる過程の中で、自ら考え自らの責任で行動できる主体性を育み、失敗しても次のチャレンジに向かう強さと、周囲で失敗している人を見ても蔑んだりする事なく、受け入れ、認め、時には手を差し伸べることができる優しさであったり多様性が磨かれるのではないでしょうか。

    子供だからではなく、1人の人間/個性と対峙すると思って相手を敬い、尊重することが健全な成長を促すのではないでしょうか。

    決して何でもかんでも、子供の選択を尊重しては?という極論を申し上げている訳ではありません。

    例えばですが、交通ルールを守らせたり、図書館、病院といった公共の場での立ち振る舞い。食事(ビュッフェやレストラン)のマナーなど本人の安全や周囲に影響を及ぼすシチュエーションなど、ルールが存在する場所についてはルールは教えるべきかと思います。

    ティーチングとコーチングをバランスよく組み合わせて、子供の個性を育みたいですね。

    Have a nice your journey!

  • 最近、器の大きな人って減ったと思いません?

    俺が責任持つから、思った通りにやっていいよ!

    見なかったことにするから、好きにやって!

    昔は頑固親父だったり雷親父だったり、合理性よりも本能や情に厚い人が一定数居たように思うんですよね。

    しかしながら、整合性、正論、理想論などごもっともなご意見が主流となり、ルールを破って失敗しようものなら全方位からバッシングされる訳で、、、

    殺戮が起きている世界情勢や、物価の高騰を含む経済情勢よりも、残念ながら著名人の不倫の方が興味が高いらしいです、、、

    そりゃ〜リスクを冒してまで火中の栗を拾おうとする輩などいなくなりますよね。

    チャレンジして失敗してバッシングされるなら、大人しく背景、風景の一部となって事をやり過ごした方が、賢明な判断となりますよね。

    でも本当に世の中は正論ばかりで成り立つのでしょうか?

    合理性よりもその時の感情、例えば綺麗、美しい、没頭する。説明できないけど心地良い。みたいな本来、人間が持っている感情であったりフィーリングをもっと大事にした方が人生楽しいと思いません?

    例えばですよ、

    >塩分摂取量が過多になるからラーメンは食べない。

    >太るから炭水化物は取らない。

    >生活習慣病が怖いから脂質は摂らない。

    逆にストイック過ぎて、

    >たんぱく質を多く摂りたいから鶏肉は胸肉のみ

    >遺伝子組み換えに技術に信頼ができないから大豆は食べない

    >野菜は全てオーガニック

    などなど、そりゃ〜身体に良いでしょうが、続きますか?緩い時間があっても良いとは思いませんか?

    何事にも合理性を求め、自分の選択した行動に自分以外からの同調を得る。可能ならばエビデンスを入手し自分の行動に第三者からのお墨付きを得る。

    本当に必要ですか?

    他人からの評判であったり、世の中の正解を踏襲するのではなく、単純に自分が好きだ!楽しい!って本能に従って行動することがもっと称賛されて当たり前になって欲しいと思いませんか?

    >管轄が違いますので、、、

    >それらの備品については前任者が勝手に実施したもので、、、

    >前例がないもので対処し兼ねます。

    怒られるから冒険しないのですかね?それとも失敗する事に対して尋常じゃない恐怖を覚えてしまうのでしょうか?

    思ったより根が深く、なかなか現状を変える程のエネルギーを費やすのには時間が足りなそうです。

    誰だって失敗なんてしたくないんですよ!

    ですけれども失敗を科学し検証することで、失敗から多くの学びを得ることで、弱者へのサポートであったり、今まで気づかなかった新たな自分の可能性へのチャレンジであったり、可能性や視野が大幅に増えるのではないのでしょうか?

    誰かがリスクを取って前進しなければ、新たな境地には辿り着けないのです。又はチームを導くことはできないのです。

    上司たるもの、目の前の事象に一喜一憂せず、客観性を維持しながら成長を見届けたいものですよね。

    器の大きさを見せようではありませんか!

    Have a nice your journey!

  • 哲学

    哲学という言葉自体が、小難しい印象を持っていますので、身構えてしまうかも知れませんが、誰もが皆、身近なところで様々な哲学に接しているように思います。

    是非、身近な哲学を少しだけ言語化して見えるようにしてみましょうか。

    朝は、ご飯と味噌汁ですか?それともパンとスープ?またはシリアルと牛乳でしょうか?

    必要なアウトプットを出すための糖分摂取、食欲のない中で吸収率を最適化した素材、活力のために好きなものを食べる。

    エネルギーを摂取したい人もいれば、エネルギーは最低限で食物繊維を望む方もいます。アスリートならば炭水化物よりもアミノ酸やタンパク質といった、自身の身体を修繕、回復させ、パフォーマンスを維持するための補給がメインになるかと思います。

    でも、正直そこまで意識して朝食を摂る人なんていませんよね(笑

    単純に好き嫌いであったり、親や配偶者といった身近な生活を共にする人のお勧めでったりもするのでしょうか?

    その当たり前に少しでも疑問を持ったのなら、それは当たり前でも何でもなく哲学に入ってくるように思います。

    なぜパンではなくご飯なのか?そもそもご飯である必要があるのか?

    目的は腹を満たすものなのか?それともパフォーマンスを発揮するための源なのか?

    何気なく摂取していた朝食が急に意思を持ち始めましたね(笑

    >お風呂が先ですか?それともご飯が先ですか?

    >朝食の前に歯ブラシですか?それとも朝食後に歯ブラシですか?

    >お味噌汁は右側ですか?それとも気にしませんか?

    >お魚は先に骨を取りますか?それとも都度分けますか?

    >食事の前に甘いものを摂取するのはありですか?なしですか?

    >お菓子はいつ食べますか?ルールありますか?自由ですか?

    何気ない普段の営みですが、自分にとっては当たり前でも他人から見たら異質であったり、自分の常識が通じなかったりしたことありますか?

    良いとか悪いとかではなく、純粋に哲学の違いが差を生んでいるように思います。

    >とりあえずビール。

    >先ずは野菜から。

    >味噌汁は熱々で。

    他人を非難するつもりもないですし、悪気は無いんですよ。

    でも、人間って自分が当たり前だと思っているので、ちょっと価値観が違うと思えば、相手を非難したり距離を置いたり自分とは違う異質だと認識し、別物として扱ってしまうんですよね。

    自分の中で大事な価値観は誰に何と言われようとも、揺るぎない信念を持つべきですし、自分と交わらない価値観については、受け入れる必要はありませんし、かと言って否定をする必要もありません。そのような価値観が世の中に存在し、それを崇める人材が存在することを認識できれば十分な気がします。

    自分の価値観を無理やり相手に認めさせようとするから、いざこざや争いが起きるわけで、、、

    そんなもんそっとしとけば良いですし、むしろそっとしといて欲しいですよね(笑

    もし、哲学を本業とする方が読んだらお叱りを受けそうな文面になっていることは認識しております。

    哲学者でも思想家でもない一サラリーマンの戯言だとご了承ください。

    Have a nice your journey!