ブログ

  • ルッキズム Lookism

    容姿とは:目、鼻、口などの配置、身長、体重、骨格、体型など顔立ちや身体付きのこと。

    周期的に過度な容姿への執着が社会問題となっているように思います。しかも残念なことに若年齢化が顕著になっていますよね。

    性的興味が出てくるのは小学校高学年くらいからでしょうか?

    例)放課後の教室で

    Aさん:⚪︎⚪︎君って格好良いよね!

    Bさん:うそ〜何で?△△君の方が良くない?

    Cさん:Aってさ趣味悪くない?

    誰も悪くないし、誰も悪気があって言葉を選んではないと思うんですよ。

    Aさんが自分がマイノリティになることに対して何の抵抗もない性格だったら、

    >この二人とは男の子の趣味は合わないみたい

    >競争率が下がってラッキー

    くらいに物事をポジティブに捉えられると思いますが、一方でマイノリティに対して理解が乏しく敏感であるならば、

    >私っておかしいのかしら?

    >⚪︎⚪︎君を格好いいって言っちゃいけないんだ!

    って、全く違う解釈になる危険を孕んでいるような気がしてなりません。

    同調圧力が強く、みんなと一緒がいい。という価値観が育ち過ぎる社会は健全なのでしょうか?

    ひょっとすると高身長だけれども、低身長で可愛らしい容姿に憧れる人もいるでしょうし、逆に低身長の人は高身長の格好良さに憧れるかも知れません。

    痩せ型の人はがっちりとした体格に憧れることもあるでしょうし、ガタイの良い人はスリムな人に羨望の眼差しを向けるかも知れません。

    しかしながらいくら憧れを抱いたとて、身長、骨格などは、努力してもどうにもならない要素の気がします。

    努力しても結果が変わらないことに嘆き、悲観するよりも、自分の持って生まれ持った良さを認識し、自分の長所を磨くことに労力を使った方が良いと思うのは私だけでしょうか?

    Lookismって評価軸が他人なんですよね。自分がこうしたい。こうあるべきだ。という主義よりも他人から評価される容姿や印象が強くなってしまっている気がします。

    採用面接などで、面接官と選考者の間に会話などのコミュニケーションが全く存在しないのであれば、ひょっとすると容姿が結果に及ぼす影響は大きくなるかも知れません。

    しかしながら、通常の選考であれば、学力、語学力、文章能力、論理的思考力、表情の豊かさ、所作、言葉遣いなどなど、容姿以外でも勝負できる武器はいくでも考えられるのではないでしょうか。

    識者の先生方には怒られるかも知れませんが、前回に引き続き教育システムの話をさせて頂くのであれば、日本はずっと減点方式の評価システムが採用されています。人と違ったことをやったら怒られるシステムなんですよ。自ずと長所を伸ばす教育ではなく、短所を指摘し短所を改めようとする教育が当たり前となっています。結果、目立つことなくマジョリティを演じることが一番コスパよく学生時代を過ごせるのです。

    そのような教育を受けた人材が、社会人となり急に殻を破るか?と言ったらそんなことはなく、その他大勢の一員として社会を形成していく訳です。

    痩せている方が良い。という声がマジョリティならばそれが唯一の正解だと信じてそこを目指す若者が増え、ふくよかな方が好みだ。という意見は淘汰され不正解の烙印を押されてしまうのです。

    健康の範囲内ならば別に痩せることに対して否定はしません。しかしながら痩せる理由が、みんなが求めているから。ではなく⚪︎⚪︎を達成するために必要だから痩せる。という主体性は欲しいですよね。

    食べることが大好きでふくよかな女の子も、運動が苦手で色白の男の子も、ハーフパンツを履きたいおじさんも、ミニスカート好きなおばさんも、周囲の評価を気にせず自分のアイデンティティを主張できる世の中が訪れると良いですね!

    Lookism→自分の力でどうにもならない評価に怯え結果に繋がらない努力をするよりも、自分が影響を及ぼせる範囲の中で労力を使いたいですね。

    さぁ、がんばってコーチングして行きましょう。

    Have a nice your journey!

  • 0 vs 100

    善か/悪か、賛成/反対、白か/黒か、可/不可、許す/許さない、Agree/Disagree、

    本当に答えはそれだけですか?

    不祥事が明るみになった際、全否定してあたかも自らが全知能になった勢いでターゲットを糾弾する者、一方でターゲットの人となりやバックグランドを含め、過去の栄光やこれまでの貢献を全面に出して擁護する者。

    壊滅的に「議論」というものに対して、疎いこの国で自分の意見を主張することは何ら間違いは無いと思います。自らの主張を秘めながらも相手の意見に耳を傾け、合意を形成している過程にあるのが「議論」かと思います。しかしながら、誠に残念ではありますが、自らの主張を述べる者は、将来の合意形成を目指すのではなく、自らの主張と異なる考えを持つ者を敵と見なし、如何に自分の主張が正しいか?正論か?に主観を置き、相手を論破し貶め度が過ぎると謝罪するら求める傾向が見て取れます。

    最近、個人的に気になるのは、ある問題に対して著名人がコメントを寄せたとします。すると反対意見を持った匿名者が、ここぞとばかりに過激的かつ攻撃的な意見を投稿し、対立を煽るような構図を作り上げる様子を目にします。

    なぜ自らの意見にそこまで固執し、相手に対して攻撃性を持ってしまうのでしょうか?

    秘匿性があるから何を言ってもいい? 承認欲求? 同調圧力?

    >全く別のストレスを抱えた状態でウサ晴らしに投稿、

    >一度、過激な発言をしたら閲覧数が伸びた、

    >ターゲットへの嫉妬、妬み、一方的な恨み、

    などなど、全く同じ状況などないでしょうし、個別に事案を掘り下げなければ真因は見えて来ないかと思います。

    世の中に聖人君子などおりませんし、誰もが大なり小なり過ちを犯す世の中かと思います。

    白/黒だけでなくグレーがあってもいいのではないでしょうか?

    前回は自分の意見を聞いてもらったから今回は譲ろう。相手の意見も一理あるから折衷案で折り合いをつけよう。この問題について相手の方が思い入れが強そうだから私は一歩下がろう。こんな事を言って相手は傷つかないだろうか?

    相手へのリスペクト、相手の立場に立って物事を考えてみる。自分の意見と違う考え方を取り入れる。なぜ自分と違う結論に至ったのか?

    相手に寄り添った考え方ができると、過激的、攻撃的な感情も少なくなるのではないでしょうか?

    大学生でコーチングや心理学を学ぶ。又は社会人となってコーチングに出会い考え方が変わる方もいるでしょう。果たしてそのような人は全人口の何%程度でしょうか?ビジネス書を1冊読んだ人から資格取得してプロコーチとして活躍している人まで、習熟度は様々かと思いますが、多く見積もっても10%程度ではないでしょうか?

    まだまだマイノリティですね。

    相手の価値観を尊重する。答えを押し付けない。などコーチングの基本的な考え方を広めるにはどうしたらいいか?

    日本には義務教育という制度があり、その中で道徳という授業があります。私は答えがなく自分の考えを主張できる道徳の授業が好きだったのですが、皆さんはどうでしたか?

    おそらくですが、大多数は道徳の意義が分からず積極的に取り組んでいるような生徒は少数だったように思います。語弊を恐れずに言えば、児童の価値観を醸成するような授業を提供できている先生も少なかったのではないでしょうか?

    道徳の授業の中にコーチングの要素を組み込んで、体系的にコーチングを学ぶ環境が生まれると、様々な価値観を尊重できる子供が増え、将来的には共感力や主体性が今よりも育まれると思うのですが、皆さんはどう思われますか?

    議論することへの抵抗もなくなり、多様性を幼少期から学べると思うのですが。

    そんな単純な方法論ではない。と識者の方から怒られそうですね。

    でも、誰かが一歩を踏み出さなければ正解か不正解か?もわからない訳で、、、

    一人でも誹謗中傷で悩む人を減らしたいですよね。

    その為に何ができるか?

    いっしょにがんばりましょう。

    Have a nice your journey!

  • 正解のない子育て

    つい先日、姉妹の喧嘩の仲裁に入った父親が暴行罪で逮捕されました。

    大きくメディアで紹介されている事件であり、詳細は省きますが、長女がChat GPTに相談したところ、児童相談所への相談を勧められたそうです。結果として、長女の意向に望む望むべからず父親は逮捕され、職を失うことになりました。

    各方面から、長女の判断と行動について、父親の過去の言動や振る舞いに対して、父親が所属する組織のリスク管理について、母親の対応について様々な評論が飛び交っています。それらについては評論家の先生方にお任せするとしまして、特に実情を把握できていない私から私見を述べる事は控えさせて頂きます。

    今回の件をコーチの立場から見てみましょうか?

    娘さんの行動と声明から、対応に困り答えを見つけるためにChat GPTを頼ったことが伺えます。また、Chat GPTの回答に疑問を持つことなく行動に移してしまっているように思います。コーチングで一番大事なのは、コーチがCoacheeに対して問いかけることで、Coacheeの中にある解を導き出す。というプロセスがあるのですが、娘さんをCoacheeとして考えた場合、自分の内省に働きかけるプロセスが今回は欠けていたのではないでしょうか。

    恐らくですが、とても素直で周囲の空気を読む事に長けたお嬢さんなのではないでしょうか。これまでの人生の中で、お嬢さんの内省に働きかける大人に出会った経験が乏しく、人と違う意見が内政にあったとしても周囲に合わせてしまったり、内省に働きかける前に周囲からのアドバイスや提供された回答をそのまま信じ切って行動に移してしまうことが常態化していることが予想されます。

    父親としては娘に反論されてカッとなった。とコメントしているようですが、どれほどの勇気を持って娘は父親に対して反論したのか?手を出す前に相手の意見を聞くための一言が出てこなかったのか?相手の立場になって物事を考える。というコミュニケーション術に理解が不足しているように思います。

    昨今、多様性という言葉が一人歩きしている感が否めないですが、今回の場合こそ相手の気持ちを考えることが本来の意味での多様性ではないでしょうか。

    憶測になってしまいますが、これまでの子育ての中で相手の立場に合わせて議論する。相手の話を聞いた上で自分の主張を伝える。といった機会が少なかったのではないでしょうか?例え我が子でも一人の人格として接する着眼点が乏しかったように思えてなりません。

    子育てをする上で、まずはTeachingによる子供への教育が主体となるのは仕方のないことです。しかしながら、年齢の上昇と共にCoachingという手法を取り入れることで、本人の人間性やあらゆる感性を育むことができると私は考えます。

    端的に申しますと、Teachingで相手が納得すれば(表面上はそのように見えているだけ)教える方も教えられる方も「考える」というプロセスが最小限で済むので、結果としては労力がかからず楽になるでしょう。

    一方でCoachingになると、相手が納得して習得し行動に移すまで労力も時間も掛かります。また相手から質問にも答えなければなりません。年齢と共に質問の難易度も上がり直ぐに答えられない質問も増えてくることでしょう。それを面倒という一言で片付けてしまうのは非常に残念でなりません。

    分からない問題を一緒に考えるという時間、経験が子供の成長に大きな役割を果たすと私は考えます。それらの経験は子育てにおけるCoachである親と、Coacheeである子供の双方の成長に繋がります。

    厳しいことを申しますと、忙しい毎日の中、面倒な質問になど答えてられない。というのは論点をずらした子育ての放棄である。と思います。

    誰も子供に不幸になって欲しい。なんて思っていませんし、一生懸命、正解のない子育てに日々、悪戦苦闘しているかと思います。

    しかしながら、努力の方向が噛み合わず、双方のちょっとした認識のずれが、取り返しのつかない結果に繋がってしまっているのが残念でなりません。

    寛大でもっと身近にコーチングが浸透するために一緒にがんばりましょう。

    当事者のお二人もご家族の皆様にも素晴らしいメンターが現れ前向きになれる人生が続くことをお祈り致します。

    Have a nice your journey!

  • なぜ人は分断を煽るのか?

    SNSが身近なものとなり、自らの考えや思想を匿名で発信できるようになりました。

    学校のクラスで自分の意見を言う。会社の会議で自分の意見を言う。対面の中で多数派の意見に対して、違う意見を少数派として論じる重圧に比べたら、何の精神的抵抗もなく簡単に発信できるようになったのではないでしょうか。

    結果として、対面では限られたコミュニティ内だけで情報発信、情報交換だったものが、ネットを介して全世界の人間とコミュニティを形成することが可能となり、繋がる人数は莫大に増加しました。

    自分と同じ意見を持つ人との交流は楽しいでしょうし、さぞかし盛り上がることでしょう。そのコミュニティ内だけで交流していれば何の問題も起こらないのではないでしょうか。しかしながら全く同じ状況にコミュニティが留まる事はなく、

    >新しいメンバーの獲得

    >現状維持派

    >新しい挑戦を望む革新派

    >外的環境の変化

    などなど、様々な要因はあると思いますが、望む望まないに関わらず時間の経過と共にコミュニティは変化を求められます。進んで変化を楽しむ者、変化を嫌い過去から脱却できない人。スタートは同じ思想であっても、結果として時間の経過と共に違いを認識する状況が生まれてきます。

    分岐点に立った時、人の本性が現れるのではないでしょうか。相手の変化、違いを受け入れ敬意を持って送り出す者。自らの意見、思想が正しいという呪縛から逃れられず、相手を攻撃してしまう人間。ひょっとしたら相手の存在すらも否定し無視してしまう人もいるかも知れません。

    頭では憎悪は新たな憎悪を呼ぶと分かってはいても、信頼が大きければ大きいほど、意見の相違が相手の裏切りに形を変えて、自分は被害者であると言う主観が強くなってしまうのでしょうか?私は被害者だから相手に攻撃しても問題ない?と自分に都合良く解釈し行動や言動がエスカレートしてしまうのでしょうか?

    思想がどんどん先鋭的になり、結果として周囲を扇動し分断を煽るような状況を生み出しているのでしょうか?

    さて、コーチであるあなたならどうしますか?

    相手の意見を聞き入れる状態にあるCoacheeに対してコーチングは可能ですが、興奮しているましてや怒りの感情を憶えている人間に対してコーチングは可能なのでしょうか?

    CoachとCoacheeの間に強力な信頼関係が構築できているのであれば、確率はゼロではないでしょうが、一般的には困難なように思います。

    私の個人的な意見ですが、やはり幼少期から児童期にかけて、人それぞれ違う意見を持っている。違う意見を持った人とどのようにコミュニティを築いていけばいいのか?意見が対立した場合、どのような行動の選択肢が考えられるか?孤立して見える人に対してどのように声掛けしたらいいのか?などなど、決められた答えに導く指導だけでなく、正解が無い問題に対して自分で考えてアプローチする。という経験が大事になってくると思います。自分の意見ばかりを押し通すのではなく、相手の立場になって物事を見つめ、どうして自分と違う意見に辿り着いたのか?相手を敬い相手の意見を尊重できる土壌を形成したいですね。

    常に自分がマジョリティな訳ではなく、ある分野については自分はマイノリティになる事だってあると思うのです。マジョリティだけが正しいのではなく、マイノリティの立場も理解して尊重できる人が多くなるといいですね。

    そんな子供たちが大勢大人になった社会をいつか見てみたい者ですね。

    Have a nice your journey!

  • 謝れない大人たち

    世の中、まさかと思うことが次々と起こりますね。

    大国が隣国を侵攻し、自らの主張があたかも唯一の正論であるかのように振る舞う。

    大国が他国の大統領を拉致したり他国を一方的に攻撃したり。

    ある大国は自らがトップとして君臨するために法律を変えてまで居座り、一国二制度の原則はもはや形骸化してしまったと言っても過言ではありません。

    どの大国も、リーダーに意見する奴は粛清、排除する傾向が強く見て取れます。

    我が国では問題がないのか?と言えばそんな事はなく、企業が誤った方向に進もうとした場合、自浄能力がなく不祥事まで発展してしまうケースが多々あります。

    企業だけでなく、大学で起きる不祥事や地方議員が関連する汚職なども⚪︎⚪︎のドンなどと呼ばれ、誰も進言できない状況から法外な要求がまかり通ってしまう状況が生まれてしまっています。

    なぜそんな事になってしまったのか?

    最初からTakerだった訳ではないのでしょうか?ひょっとしたら最初はGiverだったのかも知れません。Giverとして物事に携わる中で、求めないにもかかわらず謝礼が返ってくることで、Give & Takeが自然になっていき、Mactherとして振る舞うことが当たり前になったのではないでしょうか。長い年月を掛けた後、慕ってくれる取り巻きが増え、自分の思い通りに事が進む状態に慣れてしまいいつの間にかTakerとして力を誇示する姿に変貌してしまったのでしょうか。

    腕っぷしの強いスクールボーイの周辺に何人かの子分がご機嫌取りをしている構図と一緒なように思います。

    さて、コーチとして何ができるか?

    一人で世の中を変えるような事はできませんが、学生を含む若者に対して、権力ではなく対等な立場で人間力をコーチングできる人材を増やしPay forwardの輪を広げる事が、唯一自分ができる事のように思います。

    自分と違う考え、意見があって当たり前。他人を敬い相手の意見を尊重できる世の中がいつか訪れる日が来ることを信じて。

    Have a nice your journey!

  • 退職代行

    凄い世の中ですよね。会社に辞職/退職を申し込む際、自らではなく第三者に交渉を委ねる訳で。

    最初聞いた時には、そんなアホな!って思いましたが年々、売り上げは伸びているようで。

    その道の某有名企業の哲学は、退職の意思は自分で伝えるのが望ましい。と定義しているようです。

    一見、矛盾しているような気もしますが、創業者の経験から得られた深い思いが込められていそうですね。

    穿った見方をするならば、稼ぐ為には何でもありかいな?と思う一方で世の中の常識を覆して一世を風靡した好例とも思います。

    恐らくですが、創業者の方は何かしらの仕事を離職しようとした際、物凄いストレスを感じたのではないでしょうか。その経験をビジネスに繋げるクレバーさや先見性が垣間見得ますを伺えます。

    自らの経験を元にビジネスを立ち上げたと推測しますが、ご自身の経験や主観が全て正しい。として他者を強要することなく、自分と同じ境遇の人材に対して一つの解決策を提案するとともに、更なる選択肢の提供を行っているところが素晴らしいと私は思います。

    得てして、例えばですが、貴方が上司、会社側の立場の人間だったと仮定します。

    これまで可愛がっていた部下が、辞めたいと相談してきました。貴方はどのように対処しますか?

    ひとまず理由は聞くでしょうか。その後どうしましょう?

    引き止めますか?それとも後押ししますか?

    明らかに見通しが甘い場合、逆に事業計画が綿密に練られてあった場合、回答は簡単なように思います。

    難しいのは、部下の夢や想いも理解できる。客観的にも決して能力がない訳ではなく、どこの組織に所属してもある程度の結果は出すだろう。かと言っていくら優秀な人材だとしても独立した後の成功が保証されている訳ではない。

    と言った場合、貴方は部下を応援できますか?それとも出来ない理由を並べて不安を煽りますか?

    良し悪しではなく、自らの経験や統計など確率論を考えた場合、チャレンジしてリスクを取りに行くよりも、現在置かれている立場や責任範疇でもっとできることはないのか?と安全な方向をアドバイスするのではないでしょうか?

    夢や希望は分かったけれども、実社会でどれだけできるのか確証はあるのか?経営者を経験した事のない者がどうやってコーチング/コンサルをしていくのか?

    明日からの生活費はどうするのか?と

    どうしてもネガティブになってしまいますよね(汗

    そんな時こと人の本性が見れる気がします。

    できるようになるためのアドバイスができるか?それとも不安になるような(出来ない)アドバイスをしてしまうか?

    大多数が後者な気がします。なぜならば、だって起業したことがないのですから、自分の中の統計に頼るしかないですものね。

    あくまでも理想論かもしれませんが、

    私は、起業しても無理だなって思う部下に対して、無理だ!と言うよりも今の問題点が何で、どうすれば道が開けるかも知れない?ってアドバイスを一緒に考えたいですね。

    全てではないけれども厳しさやプレッシャーが成長に繋がる。と信じている世代と、論理的にコンフォートゾーンの内外で成長を促す世代の比較をしてみたいですね。

    最後、他人のせいにしたくないので、私は自分の可能性を信じて信じる道を進みたいと思います。

    Have a nice your journey!

  • 免疫力

    今日たまたまなんですけど、お医者さんの発信するインスタの動画見たんですよ。

    お医者さんの家系らしく、ご両親もお医者さんらしいです。ご本人は幼少期、身体が弱くしょっちゅう風邪をひいていたらしいです。体調が優れない時、両親に薬を飲ませてくれるようにお願いしたらしいのですが、薬は処方してくれなかったそうです。理由としては、病気と戦う身体を作るためだと。薬を否定するつもりはないが強くなって病気を治せる身体を作ることが大事だと。

    Fully Agreeですね。

    色々なご意見があるのは承知のうえで、全く医学的なバックグラウンドが無い、完全な主観ですけど、免疫の基本って体温調節だと思うんですよね。遠い昔、無脊椎動物は体温調節が出来ない。って教わった気がします。

    体温調整するために汗をかく。って教わったのですが、汗っかきだった私は汗を沢山かく体質が嫌だな。なんて学生時代は思っていました。ですが、食事をしただけでも汗をかく(決して辛いものだけでなく、温かいもの全般)代謝の良さに今は感謝しております。

    お陰様でほとんど風邪などひかないですし、喉が調子悪かったりはすることありますが、発熱しても大体1晩で治りますね。ほんと個人的な話になりますが、靴下と靴が嫌いで、できるだけ裸足で居たいんですよ。真冬でもサンダルで過ごしますね。周囲からはドン引きされますが。

    専門家ではないので、医学的な説明はできませんが、私の個人的な健康の秘訣は出来るだけ素足でいることですかね。

    世の中冷え性で困っている方、最近では子供でも冷え性に悩んでいる子が増えてるように思います。食事、生活習慣、運動、小さい頃から整えることで改善されないですかね?

    寒いから厚着をする。暑いから涼しいところで過ごす。その時間が長ければ長いほど体温調節する機能は失われる気がします。体温調節できないから益々、周囲の環境に影響を受け易くなってしまう。どんどん免疫が下がって、体調を崩しやすくなる。薬や栄養補助食品に頼る生活が当たり前になり、医療費や保険料の高騰を招く。世の中悪循環に陥っている気がしてなりません。

    過保護が弱い身体を作っている気がするのは私だけでしょうか。

    フィジカルもメンタルもスキルもコンフォートゾーンから抜け出して、自らのポテンシャルを最大限に引き出すサポートをしたいですよね。

    勿論、過度なストレスは禁物です。

    この異常気象が続く日本列島で、暑い中の運動を推奨するつもりはありません。ですが、全く汗をかかない生活はどうかと思います。

    バランスを見ながら適度な負荷を身体に与えて、心身ともに健康な状態を保ちたいですね。

    Have a nice your journey!

  • 文化

    文化とはどのように形成されるのでしょうか?

    例えばスタートアップなどで、創業間もなく社員数も少なければ創業者の想いが色濃く反映された文化になるのでしょうか?

    老舗と呼ばれる伝統を脈々と受け継ぐような家業は、創業者の想いも残っているでしょうし、守るところと時代に合わせて変化させる部分とを融合し新たな文化を形成しているのでしょうか。

    一方で大企業と呼ばれる会社はどうなんでしょう?創業者の想いや哲学を教育するシステムを持っているかと思いますが、脈々と受け継いでいる部分もあれば、末端の従業員まで熱意が届かずに苦労しているところもありそうですね。本来の目的を見失って出世争いや派閥争いに明け暮れてなければいいですが。

    皆さんの家庭には家訓はありますか?家訓は無くともやはりそれぞれの家庭が大事にしていることってありますよね。やはり家族毎の文化はあるような気がします。友人や恋人としての付き合いならば何の問題もないでしょうが、結婚となるとお互いの家庭/家族の価値観、文化の違いって無視できないものになってしまうかと思います。

    この時期(夏休み)になるとネットニュースで夫もしくは妻の実家に帰省するのが憂鬱である。と言う記事を毎年見る気がします。家庭だけでなく地域の文化やしきたり、価値観の違いが大きくとてもではないが受け入れられない。といった内容が多いでしょうか。

    もう10年以上前の話になりますが、当時の専務(外国人)が言っていた言葉がとても印象的で、もし会社の哲学が合わないのであれば、無理してここに留まるのは不幸になる。自分の哲学にあう組織を見つけるべきだ。という旨の話をされました。当時、自分の考えと会社の哲学が高レベルでシンクロしていたと感じていたので、経営層がそのような発言をすることに驚いたのを覚えています。

    本心を隠し通して組織に合わせようとしても、いつか気持ちが破綻するような気がします。それは会社であれプライベートなコミュニティであれ、家族であってもです。語弊を恐れずに言うならば、一般的に子は親の言う事を聞くべきだと考える親が多く、無言の同調圧力を幼少期から受けている子は、疑問や不安、違和感を伝えることが出来ずに自分らしさを見失ってしまう子も多いのではないでしょうか。

    組織から離れることを、離別、退職、家出、勘当、離婚などどうしてもネガティブな印象を与えてしまう語彙が付けられています。

    未来永劫お互いが現状維持のまま過ごす。なんてことはあり得ないですよね。もっと旅立ちを社会全体が温かい目で見守れる文化にならないですかね。

    旅立ち、卒業、門出といった将来性のある単語に変わったらいいのに。って思います。

    70年もの間、憲法をアップデートできない国民ですから、文化を変えるのはかなり大変だと思いますが、、、

    自分に合う組織に移ることがもっと簡単に当たり前になれば、自己肯定感を持ちながら多様性が生まれると思うんですけどね。

    諦めたらそこで試合終了なので、微力ながら発信を続けますね。

    Have a nice your journey!

  • なぜミスを繰り返すのか?

    皆さんは学生時代、苦手だったり何度も叱られた、怒られたことってありますか?

    例えばですが、忘れ物が多いとか、提出期限が守れないとか、遅刻が治らなかったとか?

    得て不得手は誰にでもあるでしょうし、昔苦手だったことも今は克服して立派に社会人として振る舞っている方も大勢いらっしゃるかと思います。

    それではどうやって克服したのでしょうか?

    忘れ物を例にすると、前の日に準備する。必要なものを書き出す。物の定位置を決めて無い事に気付けるようにした。などなど、色々な対策が考えられますし、1回の対策で克服した人も中には居るでしょうが、大多数は効果が出た対策に辿り着くまで何度も失敗を繰り返しながら、苦労して克服したのでは無いでしょうか?

    先ず効果についてですが、原因に対して効果的な対策を打つ為には、正しく原因を掴む必要があります。

    忘れ物の原因が、持ち物を覚えていない。に対して対策を前の日に準備する。とした場合。効果が得られると思いますか?

    結構ありがちなのですが、原因を掴む前に対策ばかり考えてしまって、それなりの対策を思いついたら、そこで満足してしまう事です。原因と対策の結びつきを検証する事なく対策を実施しても思い通りの結果を得られないことが起きてしまいます。

    先ほどの例ですが、明日持って行かなければならない物の情報が前日に確実に得られるとは限りません。提出物などはある程度の期間、猶予があって提出の期限が設けられているのでは無いでしょうか。提出など自分のアクションが必要な事、物についてはカレンダーに書き込む。などの対策にしなければ結果が得られないのではないでしょうか?

    効果的な対策を打つ為には、これでもう大丈夫だ。と思うのではなく、様々な状況をイメージして、想定外が起こらないかシミュレーションすることもとっても大事だと思います。

    一方で、いくら仮説やシミュレーションをしても、1回で万全な対策を打てることなど、稀ではないでしょうか。

    大多数は失敗を繰り返しながら、本質に近づくのでは無いでしょうか。

    達成できる(克服できる)人と途中で諦めてしまう人の違いは何でしょう?

    確かに問題解決に強いとか慣れているとか、地頭が良いとか、論理的思考が強いとか、スキルの部分もあるとは思いますが、最後はどうしても克服したい。という熱意な気がします。

    皆様も苦手を克服する際、熱意があった事については克服した経験があるかと思いますし、熱意がなく、特に自分に必要性は感じていないのに他人から言われたことなどは、克服できずに終わっているのでは無いでしょうか?

    社会に出て、結果を出す人とそうでない人の違いの一つとして、同じ失敗を繰り返さない。と言う能力があると私は思います。

    適切な対策を打てれば同じ失敗はしません。しかしながら本質から逸れた対策を実施している限り、また同じ失敗を繰り返してしまいます。

    方法論を教えるのも大事ですが、本人が自ら克服したい。と思わなければ結局は変わらない気がします。どうやって本人に克服したいと思わせるか?

    コーチとしてコーチィへの動機づけ、とても大事ですよね。

    どうやってコーチィの内省に働きかけるか?

    そこはコーチとして熱意を持って携わりたいですね。

    Have a nice your journey!

  • なぜルールが存在するのか?

    例えばですが、交通ルールを思い出して下さい。ルールがなかったらどうなりますか?

    そう、事故が起きてしまいますよね?

    逆説的な事を言えば、交通ルールを破る人がいるから事故が起きるのでしょうか?

    事故を起こさない為にもルールは必要ですよね?

    一方でブラック校則のように意図がわからず、同調圧力のみを求めるルールもありますよね?

    茶髪禁止、ツーブロック禁止、指定以外のバッグ、靴、制服の着用禁止などなど、既得権の温床ですね(笑

    例えばですが、子育てにおいては一般的にルールを作るのは親が主導かと思います。

    >朝起きたら布団を畳む

    >トイレ、洗顔、歯ブラシの実施

    >朝食は家族揃ってダイニングでいただく

    >父親と一緒に駅まで徒歩で向かう

    >帰宅後は宿題を最初に実施

    >友人と遊んでも構わないが門限は18;00

    >門限を過ぎたらお小遣い10%減

    >夕飯は決まった時間に食べ始める

    >食事中は携帯を触ることはもちろんT Vも禁止

    >最後にお風呂に入った人がお風呂掃除をする

    >お風呂は最初に身体を洗うか、最初に湯船に浸かるか?

    >携帯電話やゲームは1日1時間まで、

    などなど、一見意味があり正しいように見えますが、結果に科学的根拠が見当たらないものが多い気がします。

    何でもかんでも科学的根拠を武器に正論が正しいと言うつもりはありませんが(笑

    語弊を恐れずに言うと、ルールを作れば管理する方は楽なんですよ。ルールを守るっていう大前提があって、破ったら破った事実を盾に相手を責められるわけです。責める事によって自分の優位性を相手に示すことができるのです。

    一方でルールがない中で、相手が自分の意図しない行動を取った場合、対応に困ってしまうのです。ルールは破っていないが自分の意図と違う結果に対して責めていいのかそれとも称賛すべきか?

    自分に自信がある人間は自分の意図と違う意見に対しても、寛大さを持ち合わせているので相手の意見を認め讃えることができます。

    しかしながら残念なことに、自分に自信のない人間は相手の意見を尊重することで自分のアイデンティティが失われるリスクに怯え、重箱の角をつつくように相手を責めるのです。

    さぁ、どちらのコーチの元で育った人間が大きな可能性を秘めたまま大海原に挑めるでしょう?

    問うまでもありませんよね?

    どうですか皆さん、相手の長所を見つけ伸ばせる声掛けができていますか?

    出る杭を打つような言動や行動は慎んでおられますか?

    ルールは秩序を守るために必要なものです。しかしながら過剰なルールは相手の主体性を失わせる諸刃の剣でもあるのです。

    やはり何事もバランスが大事ですね。

    Have a nice your journey!