SNSが身近なものとなり、自らの考えや思想を匿名で発信できるようになりました。
学校のクラスで自分の意見を言う。会社の会議で自分の意見を言う。対面の中で多数派の意見に対して、違う意見を少数派として論じる重圧に比べたら、何の精神的抵抗もなく簡単に発信できるようになったのではないでしょうか。
結果として、対面では限られたコミュニティ内だけで情報発信、情報交換だったものが、ネットを介して全世界の人間とコミュニティを形成することが可能となり、繋がる人数は莫大に増加しました。
自分と同じ意見を持つ人との交流は楽しいでしょうし、さぞかし盛り上がることでしょう。そのコミュニティ内だけで交流していれば何の問題も起こらないのではないでしょうか。しかしながら全く同じ状況にコミュニティが留まる事はなく、
>新しいメンバーの獲得
>現状維持派
>新しい挑戦を望む革新派
>外的環境の変化
などなど、様々な要因はあると思いますが、望む望まないに関わらず時間の経過と共にコミュニティは変化を求められます。進んで変化を楽しむ者、変化を嫌い過去から脱却できない人。スタートは同じ思想であっても、結果として時間の経過と共に違いを認識する状況が生まれてきます。
分岐点に立った時、人の本性が現れるのではないでしょうか。相手の変化、違いを受け入れ敬意を持って送り出す者。自らの意見、思想が正しいという呪縛から逃れられず、相手を攻撃してしまう人間。ひょっとしたら相手の存在すらも否定し無視してしまう人もいるかも知れません。
頭では憎悪は新たな憎悪を呼ぶと分かってはいても、信頼が大きければ大きいほど、意見の相違が相手の裏切りに形を変えて、自分は被害者であると言う主観が強くなってしまうのでしょうか?私は被害者だから相手に攻撃しても問題ない?と自分に都合良く解釈し行動や言動がエスカレートしてしまうのでしょうか?
思想がどんどん先鋭的になり、結果として周囲を扇動し分断を煽るような状況を生み出しているのでしょうか?
さて、コーチであるあなたならどうしますか?
相手の意見を聞き入れる状態にあるCoacheeに対してコーチングは可能ですが、興奮しているましてや怒りの感情を憶えている人間に対してコーチングは可能なのでしょうか?
CoachとCoacheeの間に強力な信頼関係が構築できているのであれば、確率はゼロではないでしょうが、一般的には困難なように思います。
私の個人的な意見ですが、やはり幼少期から児童期にかけて、人それぞれ違う意見を持っている。違う意見を持った人とどのようにコミュニティを築いていけばいいのか?意見が対立した場合、どのような行動の選択肢が考えられるか?孤立して見える人に対してどのように声掛けしたらいいのか?などなど、決められた答えに導く指導だけでなく、正解が無い問題に対して自分で考えてアプローチする。という経験が大事になってくると思います。自分の意見ばかりを押し通すのではなく、相手の立場になって物事を見つめ、どうして自分と違う意見に辿り着いたのか?相手を敬い相手の意見を尊重できる土壌を形成したいですね。
常に自分がマジョリティな訳ではなく、ある分野については自分はマイノリティになる事だってあると思うのです。マジョリティだけが正しいのではなく、マイノリティの立場も理解して尊重できる人が多くなるといいですね。
そんな子供たちが大勢大人になった社会をいつか見てみたい者ですね。
Have a nice your journey!
