個人的にはもの凄く嫌いな言葉です。
論理的に破綻しているにも関わらず、伝統だから、昔からの慣わしだから、いつもやってるから、これが常識だから、と納得できる説明も無いまま、あなたもこの組織に所属したかったら守りなさい。という無言の圧力は嫌いですね。
伝統やしきたりを全否定するつもりはありませんし、信仰は自由なので踏襲するか否かは本人の判断に委ねられるのは構いません。
しかしながら、考えや信仰が合わないので辞めます。参加しません。といった因子に対して、寄ってたかって弾圧する世の中の摂理が嫌でなりません。
立場や責任/影響力が大きいほど、強要や強制的な言動、振る舞いが多いと思うのは気のせいでしょうか?
某有名大学の運動部の監督がコーチからの警告を無視して身勝手な振る舞いを行う。
創業者一族が全ての利益を搾取し、従業員やステークスホルダーへの還元を行わない。
権力者が自らの意見に同調する人材を優遇し、少しでも自分と違う意見、考えを持つ人間を冷遇する。
悲しいことに2025年の現在、大国と呼ばれる国家の党首が揃いも揃って、自らの考え意志に異を唱えようものならば、権力によって排除する。という行動を正当化して行なっている訳です。
自分の子供であったり愛する人であっても、決して自分の思い通りになどなりませんし、むしろ自分と違う意見を持っていることが健全であり多様性を育んでいる証だと私は思います。
それをあたかも国家の党首であろう人材が、自らの意見と交わらない意見を全否定するとは、残念でなりません。
>我が子の人権を無視して強制ばかりする親
>自分が偉いと勘違いして店員に横柄な態度を示す中年
>バイトを泣かして自分の権力を誇示する店主
>出来ていないことばかりに目を向ける姑/お局
>情報を小出しにして自らの地位を守ろうとするコーチ
>デート中、自分の武勇伝ばかりアピールする彼氏
>頼んでもないのに身の回りの世話をしたがる彼女
結局、私は私ですし、あなたはあなたなのです。
気が合う時もあれば、交じり合わない時があっても構わないのではないでしょうか。むしろそちらが健全な気がします。
当たり前、常識、あくまでもそれはあなたの中の常識であって、全てにおいて第三者が同意している訳ではないと思うんですよね。
それが親だろうが、子であっても。配偶者や部下、後輩でも自分の価値観を相手に押し付けるってことは、相手の可能性を閉ざす事にもつながる訳で、、、最悪は相手の人権をも潰している気がします。
自分と違う意見を受け入れ尊重できる世の中はどうやったら築けるのですかね?(笑
無理難題だと思いますよ(笑
でも、俺がやらなかったら誰がやるの?って天の邪鬼な自分もいる訳で(汗
可能性が0でない限りチャレンジするのもありじゃないですかね!
先ずは、自分と違う意見を突きつけられた時、なぜ人は嫌悪感を抱くのか?深層心理を探って問題となる事象の原因を探りたいですね。
プライド?同調圧力?自己認識?
研究する価値あると思いませんか?
Have a nice your journey!
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