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  • 旅立ち

    卒業、入学、転入、転出、学生/社会人問わず環境が変わる時期ですね。

    皆さんは今年の春をどのように過ごされていますか?そもそもですが春は好きですか?それとも苦手ですか?

    環境の変化を迎えるときの胸中は、緊張とわくわくした気持ち、どちらが多くを占めていますか?

    私は学生の頃、クラス替えや新しい環境へ身を置く事に対して積極的な気持ちを持っていなかったような気がします。1年かけてやっとクラスがまとまり出し一体感が生まれてきたのに、わざわざそれを解体してまた1から組織を作り上げる労力やリスクに対しむしろネガティブなイメージを持っていたように思います。

    ですが社会人となってからは新しい出会いや新しいチャレンジを楽しめるようになって来たように認識しています。新しい環境に身を置く事で得られる成長であったり、新しい文化や価値観に出会い自分の視野を広げる作業が楽しい。と思えるようになったのですかね。

    突然ですがコンフォートゾーンという言葉を聞いた事がありますか?その名の通り心地い常態を指す言葉です。

    学生の頃、コンフォートゾーンという言葉を知る由もありませんでしたが、春になると新しい担任とクラスメートが発表になり、急に仲間となる事を強いられます(笑。

    夏にかけて課外授業やクラス対抗のスポーツマッチがあり、秋には体育祭や文化祭が催されます。それらのイベントを通じてお互いの強み弱みを知り信頼関係が形成され、一体感が増のではないでしょうか。春から秋までを駆け抜けた先の冬が今でこそコンフォートゾーンだったように思います。クラスのカラーやお互いの個性を誰もが把握し、誰かが方向性を示さずとも、暗黙でみんなが同じ方向を向いている常態を形成していたのではないでしょうか。

    次の春を迎えると、その居心地の良かったコンフォートゾーンを壊されてまた新たな環境に飛び込まなければなりません(笑汗

    学生時代は毎年、そのようなことを繰り返していたように思います。

    では、コンフォートゾーンに置かれている時と、コンフォートゾーンから飛び出した環境。どちらが自分を成長させてくれるのでしょう?

    そうです。困難を乗り越える過程で人は成長するのです。

    ここで義務教育や学生のカリキュラムについて議論するつもりはありませんが、強制的にコンフォートゾーンを抜け出し、ある一定のプレッシャーを与えることで成長を促す役目は果たしているようにも思います。

    コーチングとはコーチィの内省に向き合って、コーチィを支援し応援する活動なのですが、決してコーチィをコンフォートゾーンに留まらせる活動ではないんですよね。コーチィを理解して支援するのですが、コーチィの成長を促す為には意図的にコンフォートゾーンから抜け出させてじてコーチィ自ら困難を乗り越える術を身に付ける環境を提供することがとても大事だと思います。

    壁を乗り越えるためにコーチは、ロープを垂らしたり階段を作ってあげたりしたくなるのですが、壁を乗り越える方法を考えて実践するのはコーチィに任せたいですね。もし、壁の途中で落ちてしまっても、コーチィは別の方法を考えて別のやり方で乗り越えて欲しいと思います。それが自らの責任感と自己認識の醸成に繋がるように思います。

    コーチはコーチィの一番の理解者であって欲しいと思います。でもそれはコンフォートゾーンを用意する事ではなく、自らの手で壁を乗り越えられるようになるまで、信じて待つのもコーチの大事な役割ではないでしょうか。

    コーチィの新たな旅立ちを見守れたらコーチ冥利につきますね!

    またお会いしましょう。

    Have a nice your journey!

  • Hello everyone!

    みなさんこんにちは。

    訪問ありがとうございます。

    記念すべき初めてのブログは何を書くか迷いますね(笑汗

    繰り返しますが、COACHとは大事な人を目的地まで送り届ける事です。つまり自分(コーチ)が行きたいと思っている目的地ではなく、相手本人が心から行きたい!って思える目的地を一緒に見つけると共に、どうすればその目的地に辿り着けるのか?応援して支援して導いてあげる役目が本来のコーチに求められる役目かと思います。

    みなさんは誰かの子供ですよね。

    生まれて初めてのあなたのコーチは親子さんだったんではないでしょうか?

    皆さんのコーチはどのようなコーチでしたか?今の自分があるのは最初のコーチが素晴らしかったからですか?それともその後の人生の中で素晴らしいコーチと巡り会えたのでしょうか?

    人生の中で1人でも素晴らしいコーチに巡り会えた!って思える人って人口のうちどれくらいの割合で居るんですかね?

    その割合を少しでも上げられる為に情報を発信しますね。

    それでは本日のお題は親子にしましょうか。

    親がコーチで子をコーチィ(コーチを受ける側Coachee)と定義します。

    コーチはコーチィを初めて見た時、どのような感情を抱くのでしょうか?とても愛おしくこの子ためなら何でもしてあげたい!って思う人が多いんですかね?

    そんな愛おしい我が子も、一生懸命お世話をしているのに泣き止まない、大事な時に限って熱を出す。おっぱいをあげてオムツも交換したのに不機嫌。せっかく丹精込めて作った食事を食べてくれない。なかなか言う事を聞いてくれない。

    コーチも大変ですね。忍耐力のないコーチならば投げ出したくなってしまいますね。

    この子のためならと思って愛情注いでいるのに、なかなか思った通りにならない。なかなか思った通りにならないコーチィに対してコーチはどのように接っするのでしょうか?

    大声で威嚇する?物で釣る?恐怖で支配する?泣き落とし?私はあなたの為にこれだけ頑張っているのに?と諭す?

    あなたのコーチは、またはコーチとしてのあなたは、コーチィに対して褒めたり、応援するようなポジティブな声かけと、逆に叱る、罵る、ダメ出しするようなネガティブなインプットのどちらの声かけの割合が多いですか?

    前者が多い方がコーチィは自己肯定感が増し、自信を備え失敗を恐れず何事にもチャレンジする意欲が養われ、後者が多いとコーチィは自己肯定感を持てなく、失敗を恐れチャレンジする意欲は湧かないと思いませんか?

    みんなそれは分かっているんですよね。頭では分かっているのに、世の中は前者のコーチがどれほど多いことか。なんでそうなってしまうのでしょうか?

    私は子育ての専門家ではありませんし、研究者でもありません。データに裏付けされたエビデンスがあるわけでもなく、一個人の主観を述べるに過ぎませんので、そこは悪しからず。

    自分がコーチ(コーチという認識はないでしょうが)として、子育てをするのは誰もが初めての経験じゃないですか。真面目な方、一生懸命な方がより完璧を求めてしまうんですかね?完璧って何でしょう?コーチィの求めることに全て答えることでしょうか?自分を犠牲にして全てをコーチィに費やすことでしょうか?周りから、義父母から褒められるためでしょうか?

    長いこと日本の教育システムってTeachingを基本にしているじゃないですか。するとそのシステムの中で生きてきた人間は無意識に決められた答えを探すようになり、自分の回答が正しくないと不安になってしまうんですかね。

    初めてのコーチ、初めての子育てなんて間違うことばっかりだだと思うんですよね。でも失敗に対して寛容ではない社会で育ってしまったために、常に完璧を求め自分にも相手にも過度なプレッシャーをかけてしまい、結果生き難い世の中を醸成する一翼を自ら担う羽目になっているのではないでしょうか。

    みんな一生懸命頑張っているんですよ。でもそこをちゃんと見て褒めてくれる人ってどれだけ居るんですかね?ぶっちゃけ頑張りってあまり見えないじゃないですか?よほど結果が変わらない限りは。でも失敗って残酷ですのね?目の前で明らかに失敗してるのってめっちゃ分かりやすいし、相対的に自分の頑張りを肯定しようと思ったら、他人を批判することで自分の自己肯定感を増してるんですかね?

    みんな分かっていると思うんですよね、幸せになる為にには、他人軸じゃなくて自分軸が大事だって事を。

    大事なのは失敗から何を学んで次にどうやって活かすか?だと思うんですよね。でも残念ながら失敗を笑う奴、ちょっとみんなと違う意見を述べただけであいつは仲間じゃない。と同調圧力を周囲にかける奴。そういったマイナスのベクトルを発する輩と対峙して苦い経験を持つ人間は無難に、出しゃばらず周囲の中に埋もれて生きることが正しいことだと自分に言い聞かせてしまうんですかね。結果、小さな失敗から学ぶどころか軸を他人に移し論点をすげ替える能力ばかりが長けてしまうのでしょうか。

    もちろん、ネガティブなベクトルに立ち向かうことが出来る強い人間ばかりじゃない。って理解はしていますよ。でもこの現状、余りにも寂しくないですか。個性は悪だ。って風潮、他人の揚げ足ばかり取って喜んでいる輩の実に多いこと。

    確率の話ですが、平均寿命だけを考えたら親より子の方が長生きするわけですよね。一生自分が子の面倒を見るなら常に失敗の芽を先に取り除いてあげて、自分のコーチィが失敗を避けるようにレールを敷いてあげればいいんです。でも実際は子の方が長生きする訳で、世の中に失敗の芽を摘んでくれる人が居なくなった瞬間に自分で考えて自分で判断する能力が求められるにも拘らず、その能力が備わっていない為に責任を転嫁して同調できない因子を責める事で自分のアイデンティティを保とうとするのでしょうか。

    同調圧力や集団に1人で対峙しろ。って話ではないんです。現状に僅かでも疑問があるならば、物事を自分軸で考え判断する機会を増やそうじゃありませんか。

    子供なんて個性の塊です。他人と違って当たり前です。100ある個性のうち1つでも大人になっても持ち続けてコーチィの強みとして輝けるように、コーチとしてその個性を応援したいと思いませんか。

    子育てにおけるコーチングとは子供の失敗の芽を摘む事ではなく、自分で考えて自分の意思で行動できる健全な心を育むことじゃないんですかね!

    コーチとは、コーチィの可能性を信じて応援してあげる一番身近な応援団だと思うんですよね。

    ぜひ、皆さんも誰かの応援団になってあげて下さい。

    最後まで読んで頂きありがとうございます。

    近いうち、またお会いしましょう!

    Have a nice your journey!