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  • コミュニケーション

    貴方の長所/短所を教えて下さい。

    私の長所はコミュニケーションです。

    私の短所はコミュニケーションです。

    様々なシチュエーションでこのようなやり取りがなされるのではないでしょうか。

    では、具体的にコミュニケーションとは?得意/不得意は何で判断しているのでしょうか?

    一般的にコミュニケーションが得意という人には活発で陽のイメージがあると思いませんか?

    一方でコミュニケーションが不得手、という方には陰のイメージがあるかも知れません。

    明るく饒舌で、自分の意見を周囲に対して発信できる人が本当にコミュニケーションが優れているのでしょうか?

    コミュニケーションとは一方的な発信ではなく、相互の理解、相手の考え立場を理解し、受け入れるという作業も含め成立するものだと思います?

    >人見知りしない

    >年齢の差を意識せず意思疎通が図れる

    >性別やバックグラウンドを気にしない

    >相手の主張を先入観なしで聞ける

    >他者との交流を好む

    価値観はそれぞれかと思いますが、コミュニケーションという言葉の意味は、言語その他の表現を用いて他者との意思疎通を図ることかと思います。

    決して一方的な意思の伝達ではありません。

    あくまでもイメージですが、陽の人間が自分より陽の人間と出会い交流すると、自分の中に秘めた陰の部分が顕在化すると思いませんか?

    すると急に批判的になったり他者の短所を急に指摘したりと、行動/言動も陰になってしまうことを見たことありませんか?

    それって他者の価値観を受け入れることが出来ないために、自らの価値観が正当性をアピールし他者へ賛同を求める行為になっているのかと。

    自信がないとか、愛されてないとか、育った環境が。とか人格的なところはここでは触れるつもりはありません。

    何が言いたいか、と言うと、発信が得意な人がコミュニケーションが得意です。って自己認識するケースが多数派な気がしますが、本当にそうですか?受信が得意な人ももっと自信を持ってコミュニケーションが得意です。って言って良いんじゃないですか?

    ってことです。

    言った言わないの不毛な議論が様々なシチュエーションで起こると思いますが、コミュニケーションの本質としては、自分の伝えたいことが結果として相手の行動に現れたらコミュニケーションが成立したとなるのではないでしょうか。

    つまり相手の行動が変わらない限り、コミュニケーションとしては言った、伝えたは一方的な主張であり、コミュニケーションは成立していないのです。

    陽と陰もそうですが、パワーバランスに差が出てしまう組み合わせの時、コーチとコーチィ、先生と生徒、上司と部下、親と子などなど、どうしても強者が弱者に対して誤ったコミュニケーションをすることが多いように思います。

    同調する必要はありませんが、相手の価値観を理解し、尊重し受け入れることがコミュニケーションの第一歩かと思います。

    一般的に発信が得意な人よりも受信が得意な人の方が、相手の価値観を受け入れ寄り添うことが得意な気がします。

    コーチングを実践する上で価値観の違いは重要なキーワードかと思います。正しく言葉の意味を理解し、アウトプットすることが大事になると思いませんか。

    共に学び共に成長し、一人でも多くの方に自信を届けたいですね。

    Have a nice your journey!

  • 巡り合わせ

    皆さんは偶然と必然。どちらが自分と相手を引き寄せていると思いますか?

    例えば学生時代、クラス替えがあったかと思います。自分の意中の人と同じクラスになる確率ってどのくらいあるのでしょうか?

    自分を高みに導いてくれる恩師に出会う確率はどれくらいでしょうか?

    苦楽を共にし、一生涯の友人としてかけがいのない存在に巡り会う確率は?

    社会人としての歩みを踏み出した中、信頼し尊敬できる先輩や上司に巡り会う割合は?

    出会いからお互いを意識し、それぞれが伴侶として認め歩む割合は?

    お互いが燃え上がり同じ未来を目指すも、道半ばで現実を知りそれぞれの道に戻る確率は?

    運命の人と巡り会う確率は?

    運命が交錯するもお互いを認知できずにすれ違ってしまう確率は?

    様々な出会いと別れを繰り返しながら、誰もが成長し未来への歩みを進めていると思います。

    時には辛い別れを経験するでしょう。しかしその出会い、別れも人生の中で無駄とはならず、思い返せは人生に彩を与えてくれる思い出になるかと思います。

    その出会いが偶然なのか必然なのかは分かりません。ですが、それぞれの出会い、別れには意味があるのではないでしょうか?

    新たな気付き価値観を与えてくれた存在、自分の弱さを認識させてくれた貴方、さらにはその弱さをも優しく包んでくれた貴方。自分のポテンシャルを引き出してくれた君、自らが認識すらしていなかった自らの真理を引き出してくれた貴重な存在。信頼し何でも本心をさらけ出すことができる大きな背中。世界中を敵に回しても唯一何があっても味方でいてくれる包容力を備えた柔らかな眼差し。

    世の中に無駄な出会いなどはなく、何かしらの意味や価値があるのではないでしょうか。しかしながら、世の中の摂理とは時に残酷で必然の出会いを疎ましく思ってしまったり、貴重な時間に気づかなかったり、全てが合致するわけでなくすれ違いや誤解を生む事も当然の如く存在します。

    生かされている今、かけがえのない存在と共にする空間、時間を謙虚に受け入れ、その必然に感謝したいですね。

    人生1度切りじゃないですか。チャレンジせず失敗しない人生よりも大胆さを失わず、失敗から何度も立ち上がる人生の方が楽しいと思いませんか?

    さぁ、あなたの可能性にチャレンジしようじゃありませんか!

    Have a nice your journey!

  • 軸ってなに?

    数少ない投稿の中ですが、自分軸、他人軸というワードには何回か触れた気がします。

    >良い子でいたい

    >周囲から称賛される親でいたい

    >先生に褒められたい

    >上司に認知される人材でいたい

    >後輩から尊敬されたい

    >周囲に認められたい

    これらは全て自分がどうしたいか?ではなく周囲からどう見られたいか?どのように評価されたいか?という自分ではコントロールできない結果を追い求める感情ではないでしょうか。

    一方で

    >自分は⚪︎⚪︎になりたい。

    >自分は⚪︎⚪︎したい

    >興味があることを極めたい

    >自分の長所を組織で発揮したい

    >部下や後輩に自らの技術を伝承したい

    といった感情や行動は、周囲からの評価ではなく、自らの内省によって導き出された感情かと思います。

    どちらが精神衛生上、自分自身に前向きな感情をもたらすか?というと後者かと思います。

    自らを鼓舞し、自らを前に推し進める力の源は内省であることは疑いの余地はないかと思います。

    しかしながら自らの内省に従って行動しようとも、活動を営む上で他人との接触は決して避けられるものではなく、価値観の違いを目の当たりにする機会は多々あるかと思います。

    動物は敵と対峙した際、戦うか逃げるか?のどちらかを瞬時に判断し行動に移しています。

    一方で人間には選択肢があり、状況に応じて何が最適か?を考える能力が備わっているかと思います。

    お互いが自分の価値観こそが正解だ。というコミュニケーションを取ろうとするから争いが起こるわけで。自分の価値観はこうだけれども、そのような価値観もあるよね。と相手の価値観を認める(決して自らが倣うわけではなく)ことで、お互いの価値観を共存させる事ができるのではないでしょうか?

    例えばですが、好意を抱く人の気を惹こうとした場合、自らの主張よりも、相手が何を考えているか?どうしたら相手が喜ぶか?を主に考えると思うんですよね。

    つまり、自らの内省に従って行動する事が推進力を生む一方で、相手に寄り添う事で、得られる世界もあるのです。

    決して一つの軸に執着する事なく、時と場合によって最適な軸を用いることで、無駄な争いを生むことなく環境に順応できるのではないでしょうか?

    軸とは自らのアイデンティティを示すものかと思いますが、白か黒か?勝つか負けるか?といった感情に固執するとお互いの精神衛生上良くはないですよね。

    多様性を重んじる世の中にしたいですよね。

    取り留めのない話題に付き合っていただき、本当にありがとうございます(汗

    Have a nice your journey!

  • 気が利くって何?

    仕事だけではなく、学校生活、クラブ活動、部活、アルバイト、ボランティア活動、バスや電車の車内、レストラン、居酒屋などの公共機関など、どこでもいいんですけど、気が利く人ってどこに誰といても気が利くと思いません?

    そもそも気が利くってどのような事でしょう?

    私が最初に意識したのは、学校の先生に気に入られたくて先生の考えを先読みして、必要とするものを予め準備したり、先生が欲しそうな意見を言ったりしてたように思います。

    部活をやれば先輩の顔色を伺って、タオル、水筒、着替えの準備をし、社会人になると飲み会では、先輩のグラスが空く直前に次の飲み物を聞きに周り、他部署の諸先輩方にもお酒ついで回り、今思えば気が利くアピールをしていたように思います。

    お前は気が利くな。って言われると有頂天になり益々、拍車が掛かっていたように思います。

    今でこそ私はコーチングを学び実践する中で、他人軸ではなく自分軸で物事を考える事が大事って説いている立場なのですが、私の10代、20代は完全に他人軸で思考回路が出来上がっていたように思います(笑

    じゃ〜今となっては、気が利くって概念はないですか?

    と問われると、決してそのような事はないんですよね。

    コーチング、自己肯定感って話をすれば、自分軸って物凄く大事ですよ。

    でも自分軸だけで生きていたらどうなると思いますか?

    そう、コミュニケーションで苦労すると思います。自分の主観、主義、主張ばかりを発信していたら、誰も近寄って来なくなってしまうような気がしますよね?

    実際そうだと思いますよ。かと言って他人軸ばかり気にしていたら自分の自己肯定感が薄れて、疲弊してしまうと思います。

    じゃどうしろって?

    世の中、白黒ばっかりじゃないと思うんですよね。私はグレイがあっていいと思いますし、むしろ世の中ってグレイばっかりじゃないですか?

    ずるいとかじゃなくて、私はバランスを取りながら、濃いグレーと薄いグレーの間で生きれたらいいかな?って本心で思います。

    コーチがコーチィに黒か白を求めるから、コーチィは柔軟性のある答えが出せなくなってしまうと思うですよね?

    正論、極論を主張されれば正にその通りなのですが、じゃそれが絶対ですか?って聞かれれば決してそんなことはないと思うんですよね。白か黒ばかりを問い詰めたら逃げ場がなくなってしまうと思うんですよね。

    組織人として他人との営み、コミュニケーションを取らなければならない中で、気が利く。って能力はプラスに作用すると思います。しかしながら、自分のアイデンティティを殺してまで優先することでもないと私は思います。

    気が利くとは物事を先読みして、他人の痒いところに手を差し伸べる。って事になるでしょうか。それって素晴らしいスキルだと思います。しかしながら固執してそれに溺れると本質を見誤る気もします。

    私はコーチとしてコーチィのバランス感覚を養う。って時間を大切にしたいな。って思います。

    さぁみんなでバランス感覚を磨こうではありませんか!

    本日も訪れてくれてありがとうございました。

    Have a nice your journey!

  • 自己認識

    仕事だけでなく、運動や勉強もそうですかね。ひょっとしたら恋愛や車の運転、趣味の世界も含め何でも通じる部分があるかも知れません。

    自分自身を客観的に評価し、何ができて何ができないのか?何が得意で何が苦手なのか?何に興味を持てて何に食指は動かないのか?

    自分の置かれた状況を正しく認識し、自分は何を求められているのか?与えられた環境の中で自分が備えているスキルのうち何を使ってアウトプットに繋げるのか?

    口で言うほど簡単ではないんですよね。冷静に自分を客観的に判断するのって。熱量が多ければ多いほど周りが見えなくなって主観が増えるだろうし、好きな事なら自信を持って臨めるかもしれませんが、苦手意識があると必要以上に事象から逃げてしまうようにも思います。

    例えばですが、勉強は自己認識が上手なので苦手科目の補習であったり自主学習を効率的に実践できて苦手を克服することがで可能なのに、好きなスポーツは自己認識が甘くなって自分の長所しか見えずステップアップに必要なポイントが見えなくなってしまい、結果、成長に時間がかかってしまう。

    このような事は多々あるかと思います。

    車の運転や恋愛もそうですが、自分が上手く出来ている。ってのは所詮主観であり、客観的な自己認識ではないんですよね。

    自分はできている。自分は理解している。自分は自分の求める水準にある。って思ったら人って成長しなくなるじゃないですか?

    コーチはコーチィに正しい自己認識ができるように手助けする役割も担う必要がありそうです。

    コーチィのプライドを傷つけないように気をつけながら、コーチィの内省に語りかける質問が必要になって来そうですね。若しくは本人がGapに気付くような目標設定をしたりするのも効果的かも知れません。

    このままでは部署の目標が達成できません。問題はどこにあると思いますか?何が原因で結果が出ていないのでしょう?その問題を解決できる可能性があるのは誰だと思いますか?具体的に何をすれば問題の解決につながると思いますか?

    などなど、自身の解をコーチィに示すのではなく、コーチィの内省に働きかけることでコーチィは当事者意識を持つのではないでしょうか?

    目標を達成するには、いつまでに⚪︎⚪︎が必要である。しかしながら現状はここにいる。そのGapを埋めなければ⚪︎⚪︎が未達になってしまう。よって△△さんにはいつまでに⚪︎⚪︎を習得する必要がある。

    といった感じてコーチとコーチィが問題を共通認識として持ち、且つコーチィのActiionを具体的にすることでコーチィのやるべきことが明確になるのではないでしょうか?同時にコーチィは現状を客観的に自己認識することにも繋がるかと思います。

    優れたコーチというのは客観性を持ち、コーチィに対して押し付けることなくコーチィの内省に働きかけ、同じ目線で一緒に歩んでいくという意思を示せる能力が求められそうですね。

    いっしょにがんばりましょう。

    Have a nice your journey!

  • マインドセット

    新入社員が全体の研修を経て現場へ配属される時期ですね。

    新入社員が現場に配属されて、一人前になるまでに必要な期間てどれくらいですか?

    その期間は今と昔どっちが早かったと思いますか?

    今も昔も、そりゃ本人の能力と言いますか、センスに依るところは大きいと思いますよ。物覚えの早い人材は何やってもどこ行っても直ぐに即戦力になると思うんですよね。物覚えのめっちゃ早い奴と、歴代語り継がれるような物覚えの悪い人材は統計学で言うところの外れ値だと思っていただいて。

    大多数の人材は先輩や上司に迷惑をかけながら時間をかけて一人前になっていくと思うんですよね。その過程、期間が今と昔、どちらが長いんですかね?

    立場上、新入社員や若手のコーチになる人間と話をする機会が多いですが、この時期は様々なコーチとのセッションの中で新人教育の話になる事が多いです。昔はハラスメントという概念もなく、完全なトップダウンで指示、課題を出し、時間に制限もなかったので、新入社員は死に物狂いで仕事を覚えて、それらをクリアできない人材は淘汰されていくという厳しい環境でしたね。って話が多いです。主観も働いていると思いますが、昔の方が成長曲線が速かった。ってイメージを持っている人が多いように思います。

    皆さんも同調できますか?

    昔(イメージは20〜30年前でしょうか)に比べて、今の方が圧倒的に情報量は多いと思うんですよね。なのに今の方が物覚えが悪いって、本当にスパルタで教育を受けていない事が原因だと思いますか?

    時代が進むと求められる事も増える気がします。常識がアップデートされるのは健全ですし、前と同じ事をやっていても厳しい評価になってしまうかも知れません。それらのバイアスを取り除いたとしても、今の方が人材育成に時間が掛かるのでしょうか?

    私は決してそうは思いません。

    時代が変わっているのに、旧態依然の方法で指導するから結果が伴わないのだと思います。現代人(コーチィ)に寄り添う事なく、古い価値観を持った指導方法が現在に追いついていないのではないでしょうか?

    勘違いして欲しくないのですが、寄り添う。ってのは決して甘やかして機嫌を取りながら指導する事ではないんです。ちゃんと本人の性格や能力を把握した上で、時間と場所を選んでコンフォートゾーンから引っ張り出して、本人が持っている能力を解放するのがコーチングです。

    その為には、傾聴、信頼、動機づけ、支援といったコーチングのスキルが必要になりますし、何より教える側(コーチ)のマインドセットを再構築することが大事になりそうですね。

    本人の持つポテンシャルを信じて、一緒に成長しようではありませんか。

    新人と新人コーチの成長と充実した人生を切に願います。

    Have a nice your journey!

  • マイクロマネジメント

    コーチとコーチィ、親と子、上司と部下、先輩と後輩、師匠と弟子、兄と弟、姉と妹、監督と選手、先生と生徒、世の中には様々な師弟関係がありますよね。

    自分が親だから、自分の方が経験あるから、自分が知識、技能を提供する立場だから。

    皆さん、自分の先輩、上司、師となる立場の人に完璧を求めますか?決して全ての問いに関して完璧な答えを求めている訳ではないと思うんですよね。ちょっとくらい完璧じゃないところがあった方が親近感わくと思いませんか?

    しかしながら師と呼ばれる立場の方々は、何を見ているのか?誰と戦っているのか?なぜに完璧を求めるのでしょうか?

    語弊を恐れずに言うならば、師という立場の方々は、自分や相手(コーチィ、弟子など)ではなく、自分を評価する立場の人々(かつての上司、先輩、自分の師匠、同僚など)の亡霊と戦っているのではないでしょうか?

    自分は優れた師である事を周囲に示したい、かつての師に成長した姿を見せたい。先輩として後輩に舐められたくない。同僚から一目置かれたい。姑から一切文句を言われたくない。それぞれの事情、考えがあって構いませんが、それって本質を捉えているのでしょうか?

    コーチとはコーチィの目指す目的地に送り届ける支援をする存在です。

    ですが、世の中のコーチと呼ばれる方々は、自分の能力を誇示するために見えない敵と戦い、そのプレッシャーをコーチィに与えているように見えてしまいます。

    コーチィの成長よりも、目の前の結果を重視するため、コーチィを支援するどころか自分の敷いたレールにコーチィを乗せて、自分の欲しい結果にコーチィを導いているのです。

    つまりその過程がマイクロマネジメントとなってしまっているのです。

    コーチィがレールから外れようとするものならば、コーチィの人格を否定し恩着せがましく、お前は恩を仇で返すのか?という極論に至ってしまうのではないでしょうか?

    私はこう思います。

    コーチも未熟でいいんです。コーチィと共に歩む過程でコーチィと共にコーチも成長し、同じ目線、同じ立場から新たな学びを得る事が健全で建設的で、お互いを信頼し尊重しながら新たなステージに登れるのではないでしょうか?

    自分が成長するからその姿を見て安心してコーチィも1歩1歩成長できるのです。その1歩を自分の力で踏み出す過程を大らかな眼差しで見守ろうじゃありませんか!

    物事を自分軸で捉える訓練を重ねれば、他人からの評価よりも大事なものに気づくと思うんですよね。

    このページに訪れて下さる皆様本当にありがとうございます。本質を捉えたコーチングを広めていきましょう。

    Have a nice your journey!

  • 新入社員

    春ですね。

    今年もまた希望を持った学生が新たな学び舎に集い、新たな辞令を受けた社会人が新たな環境で新たなチャレンジを始める季節ですね。

    人生、様々な転機を経験しますが、学生から社会人になる時の変化はかなり大きなターニングポイントではないでしょうか。

    お金を払って学ぶ立場から、社会の要求に応えることでサラリーを得る立場に変化します。

    大袈裟かも知れませんが、自由に発言をしていた立場から、一つの発言に責任が生まれ、社会に価値を提供する立場に変わります。

    学生時代に得た知識が、実社会でどれだけ活きるのか?

    希望を胸に新社会人としての生活をスタートさせるのではないでしょうか?

    今でこそ、ガチャという言葉が一般的になりましたが、自らが新社会人となって、初めて仕事のイロハを教えてもらう最初の教育係って物凄い影響力を持ちますよね!

    仕事のやり方は勿論のこと、社会人としての心構えであったり組織人としての立ち振る舞いあったり、自分が組織に属して自分の役割を全うするに当たり、かなり大きな影響を最初のトレーナーさんは担うと思うんですよね。

    これまで私自身も新人教育に携わりましたし、後輩達の指導育成方法や新入社員の成長も見させて頂きました。

    その中で印象に残っているエピソードを一つ。

    彼女はものづくりに興味があり、大学で学んだ知識を武器に希望と情熱を持って製造現場へ飛び込みました。

    そこで巡り合わせた先輩社員がとてつもなくマイクロでした。

    彼女は本当に頑張り屋さんで、物覚えも早く視野も広くこっちがブレーキをかけないと、壊れてしまうじゃないか?って心配になる人材でした。

    教育係の先輩がマイクロで、重箱の隅を突くようにできないことを永遠とダメ出しするんですね。恐らくですが彼は一生懸命教育をしているつもりなんでしょうが、第三者から見たらDVに見えてしまうようでした。

    就業時刻を過ぎてから永遠2時間も自論を説いているのです。

    悪趣味にも程があります。

    製造現場って本当に怪我が怖いんです。

    彼女には無理し過ぎて怪我しないように、優先順位とメリハリ、しんどいことを誰かが一手に引き受けても、組織が成長しないことをコーチングしました。

    彼にはコミュニケーションのイロハ、相手の立場に立って物事を考えることの重要性。褒めるときはみんなの前で。説教は相手のプライドを守るために個別で。と説きましたが、最後まで彼に響いたかどうか分かりません。

    私自身、今だったらもっと上手にコーチングできる自身はあるのですが、当時はまだ未熟で相手の深層心理まで訴えかける能力が不足していたように思います。

    コーチングの基本は、コーチィの長所を認め最大限に活かすことだと思うんですよね。ですが、真面目な人間ほど自分が信じる自分の価値観をコーチィに与えようと一生懸命になってしまうんですよね。

    彼も彼女も一生懸命なんですよ。でもそのままほっといたら彼女が潰れてしまう。と思ってタオルを投げました。

    彼も彼女もこれまで本当のコーチングに出会ったことがない故に残酷な環境を引き当ててしまったのです。

    人を変えようと思えば思うほど、相手は意固地になり益々反発します。相手の立場になって、相手の本心に寄り添って向き合って、相手を精一杯支援する。まずは相手の可能性を信じて信頼するのが最初のコーチの任務でしょうか。

    一刻も早く正しいコーチングを広めなければ!

    皆さんも一緒に行動してください。より良い世界のために!

    Have a nice your journey!

  • 皆さんの夢は何ですか?

    私の夢は好きなこと、本音を語れる世の中を作りたいですね。

    皆さんは本音を語れる人が近くに居ますか。

    私には学生時代からの友人が1名と社会人になってから知り合った波長の合うコミュ力おばけの合計2名が存在します。

    誰もが大なり小なり経験があると思うんですけど、夢が音を立てて崩れていく瞬間ほど残酷なことって無いと思うんですよね。

    かれこれ数十年前、小学校の時の記憶です。クラス内の数人で将来の夢というか就きたい職業の話になったんですよね。1人の男の子が将来の夢を「医者になりたい」って言ったんですよね。私は単純に凄いな。って思ったんですよ。俺なんて具体的なものが何もなくて、漠然とサラリーマンは嫌だな。って思ったくらいで。

    すると周囲のクラスメイトが、「お前は無理だ」「できっこない」挙げ句の果ては「すけべな奴だ」って言い出す人間もいて、医者って発言した当人の顔がみるみる引き攣って、「そんなの嘘に決まってんじゃん」って言ったのを覚えています。

    その彼は現在医療とは全く関係のない職業に就いています。

    小学生時代のその経験が医者という夢を諦めさせたのか、私には知る由もありませんが、一人の人間が持つ可能性を言葉の暴力によって閉ざされてしまったと思うんですよね。

    どうしてこんなにもこの国の人間は他人に対して寛大ではないのでしょうか?

    人と比較をされながら育てられたからでしょうか?

    Teachingの教育を受けてきたからでしょうか?

    多様性についての認識、教育が不足しているからでしょうか?

    島国で他国の文化を受け入れ難い環境だからでしょうか?

    身近な存在が他者の文句ばかりを言っているからでしょうか?

    どれも一理あるな。って思うかも知れませんが決定打にはならなそうですね(汗

    前にも言いましたが、私にエビデンスはないですよ。そんな私が思うには【考える力】が足りてないんだと思うんですよね。つまり自分で考える能力の欠如です。

    最初のコーチは親だって話を最初にしましたが、親の次に会うコーチは先生だと思うんですよね。先生の次に出会うコーチは上司とか先輩でしょうか。

    自分が成長して出会うコーチたちみんな、自らの正解に導くコーチだったらどうなります?皆さん(コーチィ)の興味があるもの、クリエイティブな発想からでた解は全て否定され、コーチが過去の経験で得た一番無難な解に導く主観しか持ち得ないコーチだったとしたら、、、自分の意見が否定され続けたら、誰だって自らの考え、アイデンティティに自信など持てず、気がつけば無意識にコーチの中の解を探す、考えることを止めた個人になると思いませんか?

    コーチィとすれば、異論を唱えて周囲を納得させる労力よりも、多数決で良しとされる解を選択することで、無駄な労力を使わずともコンフォートゾーンに居れるわけです。

    無意識のうちにコンフォートゾーンに留まる人間から見ると、コンフォートゾーンから外れた意見を自由に操る人間を疎ましく思うのでしょうか?自分が選択して留まっている場所を正当化するためにゾーン外の意見や個人に対して攻撃してしまいたくなるんですかね?

    裏を返すとコーチの立場からしても、自分の想像の範疇からはみ出た意見は自分の存在意義を否定されているようで、とてもではないが容認出来ないのでしょうか。

    立場はコーチなのですが、考え方がTeachingなんですよね。自分が教えてあげてる。って思考回路にある限り自らの考えに賛同する人間ばかりを優遇し囲う作業を繰り返しているように思います。結果として不幸にも考えることを止めた人たちがコンフォートゾーンを作り上げてしまっているのですかね。

    コーチはコーチィを目的地まで送り届ける役目である。というCoachingの基本理念が広がれば、自由に自分の意見を発信し、自信を持って自分の夢を語れるようになると思いませんか?

    つまりはお互いを尊重し合える多様性のある世界が形成されるのではないでしょうか。

    このブログに訪れて下さる皆様は、少なからずともCoachingに興味のある方々かと思います。

    一人でも多くの方にCoachingの理念が伝わるよう一緒に発信を続けましょう。

    それではまたお会いしましょう。

    Have a nice your journey!

  • 旅立ち

    卒業、入学、転入、転出、学生/社会人問わず環境が変わる時期ですね。

    皆さんは今年の春をどのように過ごされていますか?そもそもですが春は好きですか?それとも苦手ですか?

    環境の変化を迎えるときの胸中は、緊張とわくわくした気持ち、どちらが多くを占めていますか?

    私は学生の頃、クラス替えや新しい環境へ身を置く事に対して積極的な気持ちを持っていなかったような気がします。1年かけてやっとクラスがまとまり出し一体感が生まれてきたのに、わざわざそれを解体してまた1から組織を作り上げる労力やリスクに対しむしろネガティブなイメージを持っていたように思います。

    ですが社会人となってからは新しい出会いや新しいチャレンジを楽しめるようになって来たように認識しています。新しい環境に身を置く事で得られる成長であったり、新しい文化や価値観に出会い自分の視野を広げる作業が楽しい。と思えるようになったのですかね。

    突然ですがコンフォートゾーンという言葉を聞いた事がありますか?その名の通り心地い常態を指す言葉です。

    学生の頃、コンフォートゾーンという言葉を知る由もありませんでしたが、春になると新しい担任とクラスメートが発表になり、急に仲間となる事を強いられます(笑。

    夏にかけて課外授業やクラス対抗のスポーツマッチがあり、秋には体育祭や文化祭が催されます。それらのイベントを通じてお互いの強み弱みを知り信頼関係が形成され、一体感が増のではないでしょうか。春から秋までを駆け抜けた先の冬が今でこそコンフォートゾーンだったように思います。クラスのカラーやお互いの個性を誰もが把握し、誰かが方向性を示さずとも、暗黙でみんなが同じ方向を向いている常態を形成していたのではないでしょうか。

    次の春を迎えると、その居心地の良かったコンフォートゾーンを壊されてまた新たな環境に飛び込まなければなりません(笑汗

    学生時代は毎年、そのようなことを繰り返していたように思います。

    では、コンフォートゾーンに置かれている時と、コンフォートゾーンから飛び出した環境。どちらが自分を成長させてくれるのでしょう?

    そうです。困難を乗り越える過程で人は成長するのです。

    ここで義務教育や学生のカリキュラムについて議論するつもりはありませんが、強制的にコンフォートゾーンを抜け出し、ある一定のプレッシャーを与えることで成長を促す役目は果たしているようにも思います。

    コーチングとはコーチィの内省に向き合って、コーチィを支援し応援する活動なのですが、決してコーチィをコンフォートゾーンに留まらせる活動ではないんですよね。コーチィを理解して支援するのですが、コーチィの成長を促す為には意図的にコンフォートゾーンから抜け出させてじてコーチィ自ら困難を乗り越える術を身に付ける環境を提供することがとても大事だと思います。

    壁を乗り越えるためにコーチは、ロープを垂らしたり階段を作ってあげたりしたくなるのですが、壁を乗り越える方法を考えて実践するのはコーチィに任せたいですね。もし、壁の途中で落ちてしまっても、コーチィは別の方法を考えて別のやり方で乗り越えて欲しいと思います。それが自らの責任感と自己認識の醸成に繋がるように思います。

    コーチはコーチィの一番の理解者であって欲しいと思います。でもそれはコンフォートゾーンを用意する事ではなく、自らの手で壁を乗り越えられるようになるまで、信じて待つのもコーチの大事な役割ではないでしょうか。

    コーチィの新たな旅立ちを見守れたらコーチ冥利につきますね!

    またお会いしましょう。

    Have a nice your journey!